筆者が現役記者として取材した中で、20世紀の日本自動車産業をリードしたのは、まさしくT(トヨタ)・N(日産)だった。さらに言えば、筆頭代表格はトヨタよりむしろ日産であったが、いわゆる「旧日産」は、長く抱えていた内部の労使対立問題などにより、次第にトヨタにリーダーの座を追い上げられ、追い抜かれて、90年代後半には業績不振で膨大な有利子負債を抱えるに至った。

 時の塙義一日産社長は、自力再生の道は困難として外資との提携の道を探った。米フォードや独ダイムラーとも水面下で交渉したが、最終的な資本提携先に選んだのが仏ルノーだった。その交渉実務を担当していたのが志賀氏で、両社は99年3月27日、東京・経団連会館で資本提携記者会見を開いた。その提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産を傘下に収めルノーからCOO、カルロス・ゴーンを派遣するというものだった(筆者はこの一連の動きをまとめた『トヨタの野望、日産の決断―日本車の存亡を賭けて―』を99年6月にダイヤモンド社から上梓)。

 ゴーン政権は日産のV字回復後も長く継続し、三菱自を傘下に収めて3社トップに君臨した。だが、ゴーンは18年11月に金融商品取引法違反で逮捕され被告の身となり、19年12月にはレバノンに逃亡した。

 23年2月、ルノー・日産の資本関係はルノーが43%出資を15%に引き下げ双方15%ずつの対等となることで合意した。

――99年6月にルノーからゴーンCOO(当時)が派遣され、リストラ断行を含めた「日産リバイバルプラン(NRP)」が実行されました。ゴーン氏は「日産の救世主」と呼ばれ、05年にルノー社長CEOにも就任し日産社長CEOと兼ねたことで、志賀さんをCOOに抜てきしました。

 以来、志賀さんはゴーンの右腕としてCOOを続けたわけですが、志賀さんが言うように、どうも志賀さんがCOOを降りた頃からゴーン政権はおかしくなっていったと私も感じます。ゴーン長期政権が前半と後半で大きく変貌したことが、今回のルノー・日産の資本関係見直しにつながっているのでしょうね。