スティーブ・ジョブズの過剰な神格化は
格差の再生産につながりかねない
セック ジョブズ氏は天才であることに加え、中流層出身の白人男性でした。セーフティーネットと成功へのバネを持っていたのです。彼やイーロン・マスク氏のような人たちを必要以上にたたえ、「情熱があれば、あなたにもできる!」といった文化的思考を広めることには問題があります。
彼らがあそこまで上り詰められたのは、情熱によるものだけではありません。情熱主義は、社会的階級やジェンダー、人種による職業の分断といった既存の格差を温存するツールになり得ます。
というのも、情熱主義に基づけば、職業格差とは、「何に情熱を感じるか」という「選択」の違いであって、格差自体を解決する必要はないという論理になるからです。そして、「誰もが自分なりの情熱を追えばいいんだ」という話になってしまうのです。
こうした考え方は、社会的階級やジェンダー、人種による格差がどのように生まれるのかという事実をゆがめてしまいます。
シリコンバレーでは、目に見えない強固な起業家精神が健在です。天才起業家さながらに「自分も大学を中退し、ベンチャーキャピタリストに売り込む方法を習得しさえすればいい」といった考え方です。
「良いアイデアさえあれば、シリコンバレーで成功できる」という思考が行き渡っていますが、百何十年に及ぶ社会科学の研究から、良いアイデアだけでサバイバルできないことは明らかです。良いアイデアを実現させるには、ほかの力や要素も必要なのです。
ジョブズ氏のような人を例に取り、「情熱さえ十分に持っていれば、誰もが彼のようになれる!」などと考える風潮は格差の再生産につながりかねません。
――ジョブズ氏は、こうも言いました。「仕事に心底満足するための唯一の道は、素晴らしい仕事だと思うことをやることです。そして、素晴らしい仕事をやる唯一の道は、自分の仕事を愛することです。愛する仕事をまだ見つけていないとしたら、探し続けてください。現状に甘んじてはいけません」と。
過去半世紀を代表する資本家の1人であるジョブズ氏が「愛する仕事を見つけるまで安住するな」と言ったことは、まさに情熱主義がはらむ問題を象徴していると、あなたは分析していますね。
セック ジョブズ氏がこの祝辞を送ったのはスタンフォード大学の卒業生です。その多くがテック大手に就職するかもしれません。そうした若者に向かって、自分のすべてを仕事に注ぎ込むよう呼びかけたのは、実に皮肉なことだと言えます。
なぜなら、ジョブズ氏は、従業員が情熱に突き動かされて長時間働くことから利益を得る、テック大手の経営者だったからです。シリコンバレーのテック大手は信じられないほどの長時間労働で知られています。
そうした点からも、情熱主義が人気を集めていることに大いなる欺瞞(ぎまん)を感じます。特にシリコンバレーのような場所では、働きすぎを批判する余地などありません。「情熱を持てないなら、この仕事をするな」といった雰囲気が漂っています。
「長時間労働は従業員や会社のためになるのか」といった問い掛けはなされません。「週に何十時間も残業をして製品を生み出すことが、はたしていいことなのか」といった疑問を呈する余地などないのです。
――「情熱を追い求める幸せ」と経済的安定のバランスを取る最善策は何でしょうか?
セック 個人レベルでは、仕事との関係をどうしたいのかを自分自身に問い掛けることです。私たちは、しょせん(資本家ではなく)「労働者」にすぎません。それを認識したうえで、どうしたいのか、仕事に置いていた自分のアイデンティティーや充足感をほかのことに振り向けてバランスを取り直すことはできるのか、といったことについて、自分自身と深い対話を重ねるのです。
一方、もっと広い意味では、労組を味方につけた使用者との団体交渉など、協働で解決策を探るべきです。個人で動くよりも、同じ問題に直面する人たちと団結し、雇用主に変革を求めることが重要です。
もちろん、情熱が茶番だとは思いません。例えば、教育者の中には、信じられないほど献身的で情熱にあふれた人たちがいます。情熱を持つこと自体が間違いだ、などと言うつもりは毛頭ありません。
問題は、特に米国で言えることですが、教師の給与が低すぎることなのです。情熱に相応の対価が支払われず、搾取のツールになってしまっているのです。これは非常に不幸なことです。
一方で、仕事における「幸福感」は、情熱によってもたらされるものだけではありません。仕事を通して得られる「尊厳」が人を幸せにするのです。上司から仕事を公正に評価され、敬意を払われているか、スキルを伸ばす機会が与えられているか、ともに働きたいと感じるような同僚がいるか。こうしたことも「良い仕事」の条件です。
――昨年後半、米国で賛否両論を巻き起こした、仕事より私生活を優先する「Quiet Quitting(静かなる退職)」というトレンドは、情熱主義の正反対のように見えます。
セック 「静かなる退職」とは、自分の仕事を好きになれない人が、人生における仕事の存在や割合を小さくしていくことを意味します。人は仕事が嫌でしかたないとき、「静かなる退職」か「本当に退職して情熱を追い求める」か、いずれかの戦術を取ることができます。
しかし、静かなる退職は、仕事が嫌いな人々にとってミスリーディングな解決法です。「ワークライフバランスのある人生を送ろう」と考え、同戦術を取ったとしても、それは個人レベルでの解決策にすぎないからです。「雇用主が長時間労働や仕事への献身を労働者に期待する」という、より広範で構造的・文化的な問題に対する真の解決策ではありません。
本当の解決策は、社会運動やグループ・労組の結成で変革を推し進めることです。仕事にどれだけの時間を投資すべきか、仕事に自分のアイデンティティーを置くべきか、こうしたことに思いを巡らせることこそが、情熱主義の過度な信奉に対する、重要な解決策になるのです。