以上のような例を挟みながら、ミンツバーグ教授はコミュニティとしての組織運営の大切さを説いていた。

ミンツバーグの描くコミュニティは
東アジアの社会には根付いていない?

 しかし、日本人の組織研究者として、私自身は教授の論に対し、少し異見がある。

 ミンツバーグ教授の描く「コミュニティ」は、西洋的個人主義に基づくものだ。確固たる自分の意見を持った独立した個人が、自ら望んで集まり、集団にコミットし、コミュニケーションを持ち、アイディアと創造性を発展させていく。これが西洋的自己観に基づいたコミュニティだ。

 しかし、日本をはじめとした東アジアの「コミュニティ」はそれとは様相が異なる。人々は個々の意志で集まるというより、あまり選択肢のない中で、極端に言えば「仕方なく」集まった人々が、「ま、ここでやっていくしかないよな」という諦めのもと、集団規範に組み込まれて成り立っているのが東洋型コミュニティだ。

 そこでは、個人のユニークな考えではなく、集団の持つ空気を読むことがより重要で、どのように集団に順応していくかがカギとなる。

 日本の企業のコミュニティとは、むしろこのようなタイプであった。したがって、上司や「お局様」の顔色をうかがったり、皆が有給を取らずに働くならば自分も取らないように空気を読んだりしなくてはならない。集団の規範が重要となる。もし規範を破った場合には、いじめ、左遷、窓際などの「罰」を受けることになる。

 個人が自発的に集まるコミュニティと、集団がその規範の中に個人を巻き込んでしまうコミュニティでは、そのメンバーのメンタリティや行動規範は自ずと違ってくる。前者では、個人は自分が集団にいかに貢献できるかを考えるのに対し、後者では、個人は自分がいかに集団から利益を得られるかが重要になる。つまり、「タダ乗り」のメンタリティが増えるのだ。

 だから、ますます強い集団規範が必要となる。それが立ち行かなくなったのが、バブル崩壊後の日本組織だ。そしてその直接的な理由は、年功序列、終身雇用といった「長期的関係」の組織をつくり上げる制度がなくなったことである。