原は「渡辺5代目から司忍(つかさしのぶ)6代目への継承の謎」を知る人物でもある。実話誌にはさまざまな説が流れ、盛力健児(せいりきけんじ)、太田守正、中野太郎といった渡辺の側近が、自著で“真相”を語っている。原は側近として「言ってはならないこと」は山ほどあるが、「親分の名誉のためにも言うべきこともある」という。

全国自由同和会の旗揚げと
渡辺からの1本の電話

 1986年7月20日の全国自由同和会結成大会に戻ろう。前日、渡辺からの電話で「大会潰し」の暴力団動員を免れた上田は、他にも不穏な情報はあったものの、落ち着いて朝を迎えることができた。

 京都府八幡市文化センターには、高知、徳島、香川、愛媛、京都、東京、岐阜などの10都府県を中心に約2000人が集まった。午前10時に開会、壇上には4つのスローガンが掲げられた。

1 地域改善対策特別措置法を充実強化するとともに、事業の完全消化をしよう。
2 行政の主体性を確立させ、円滑な同和行政を推進しよう。
3 全国民の運動に盛り上げ、相互理解、相互尊重、真の対話と合意の活動をしよう。
4 組織を広げるとともに、「エセ同和行為」を排除しよう。

 このスローガンは、当日定められた「綱領」の基本を成している。

 開会の挨拶は、地元京都の木曽利廣が行い、結成準備会を代表して高知の堀川重明が挨拶、「同和運動に対する国民的反感が高まるなか、科学的、哲学的に同和問題解決に向かって進まねばならない」と、訴えた。

 堀内俊夫・自民党地域改善対策特別委員会委員長、森朴繁樹・地域改善対策研究所所長らのメッセージ、来賓祝辞と続き、議案が提案され可決承認した。会長に堀川、副会長に山田重則(徳島)、事務局長に橋本敏春(岐阜)らが選ばれて、山田が閉会の挨拶を行った。

 この日を境に、まさに上田の後半生が始まる。上田は、全国自由同和会を舞台に、「政」「官」を巧みに操りながら、ややこしい勢力をうまく捌(さば)きつつ、運動と事業の両立を図るのだった。