三洋証券社長 土屋陽一
 今から35年前、バブル景気真っただ中の1988年5月、東京都江東区塩浜に三洋証券のトレーディングセンターが建設された。東京証券取引所の立会場の約2倍、サッカー場がすっぽり入る広さのトレーディングルームは当時、東洋一と称された。壁には巨大モニター、フロアには最新鋭のコンピュータ端末が3000台も並び、世界中の市場動向が常に映し出されていた。24時間取引に対応できるよう、仮眠室も完備していたという。

 今回は、そんな証券界の注目を一身に浴びていた時期の三洋証券の企業レポート(「週刊ダイヤモンド」88年9月17日号)。そして積極的なコンピュータ投資をけん引した三洋証券社長、土屋陽一(1941年11月29日~)のインタビューを同90年11月3日号から紹介する。88年の記事のリードには、「未来を見据える証券会社・三洋証券の21世紀ビジョンを検証した」とある。当時の三洋証券、そして土屋は、コンピュータ時代の証券会社の象徴でもあった。

 土屋は、三洋証券の前身である土屋證券の創業者、土屋陽三郎の長男。慶應義塾大学を卒業後、17年間勤めた野村證券時代からコンピュータによる証券業の近代化に関心を寄せ、81年に三洋証券副社長となり、85年に社長に就任すると、業務の多角化、コンピューター投資など、拡大路線を突き進んだ。88年の記事でも、ホールセール部門を担うトレーディングセンターと共に、リテール部門ではホームトレードを強化して、個人顧客の獲得に注力するとの方針を打ち出し、意気軒高だ。

 土屋は当時、コンピュータは21世紀初頭には電話や電卓のような存在となり、1人1台どころかオフィスに1台、家庭に1台、携帯用に1台といった具合に1人3台くらいに普及するといった発言もしている(「日本経済新聞」89年8月15日「十字路」より)。インターネットとスマートフォンでどこでも株を売買できる今、その見立てが正しかったことは明らかだ。

 しかしバブル景気が崩壊すると、証券業界は一転、冬の時代を迎える。土屋がもくろんだコンピュータ時代の到来の前に、三洋証券は経営危機に襲われた。多額のコンピュータ投資に加え、積極的な人員採用や店舗展開による販売管理費と固定費の負担が重くのしかかり、債務保証先でもあるノンバンク子会社が抱える不良債権が経営を圧迫するようになった。それでも90年のインタビューで土屋は、相変わらずコンピュータ投資の重要性を説きながら、業績不振説と合併説、トレーディングセンターの売却説を一蹴している。

 しかし三洋証券は97年3月期まで6期連続で赤字を出し、97年11月3日に会社更生法の適用を申請して倒産した。証券会社としては戦後初の倒産だった。そして、その衝撃から間もない11月15日、北海道拓殖銀行が破綻。さらに11月22日、山一證券が自主廃業に追い込まれ、金融危機が本格化する。日本経済は長い氷河期に突入していった。

 かつて東洋一を誇ったトレーディングルームは今、システム開発大手のTISがデータセンターとして使っている。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

【1988年9月17日号より】

サッカー場がすっぽり入る広さ
東洋一のトレーディングルーム

 東京・江東区塩浜――。ウォーターフロントに近い一角に内外の耳目を集めている建物がある。三洋証券トレーディングセンター。ワンフロアのトレーディングルームとしては、間違いなく世界最大のものである。面積にして約6400平方メートル。サッカー場がすっぽり入る広さのスペースに30億円をかけて新調した最新鋭のコンピュータ端末やモニターが整然と並んでいる。最大800人までのディーラーを収容することができる設備だ。

1988年9月17日号より1988年9月17日号より

 株式や債券、投信など全商品部門のスタッフがワンフロアに会して取引が行われている。現在はキャパシティーの半分以下、約350人が詰めているだけだが、ダイナミックな空気は見る者にも伝わってくるほどだ。

「全商品の情報が集積されているので、マーケットや顧客動向も敏感に察知できる」と言うのは土屋陽一社長。世界中の機関投資家をホットラインで結び、取引を仲介にしたつながりを持っていくことの重要性を強調する。

 海外の顧客とのつながりは、これまで現地法人でワンクッション置いていたのがダイレクトになった。その分、現法ではフェース・トゥ・フェースの情報収集やプレゼンテーションに磨きがかかる。

 その結果、「海外店舗の組織編成を変えていくこともあり得る」(坂本堯則常務国際本部長)という。顧客との取引や情報交換といった機能をトレーディングセンターに移管することができるからだ。海外とのアクセス機能強化によって、内外一体化も進む。

 国際部門に限らず、「ホールセール機能は、全てトレーディングセンターでやる」(土屋社長)という。ブローカレッジを通じてトレーダーは顧客との連携を深める。そのエネルギーを取られることがないから、営業マンはより戦略的な部分(新規開拓など)に目を向けることができるわけだ。