平成がまもなく終わりを迎える。金融業界の約30年間で最も大きなトピックだったといえるのが「平成金融危機」だろう。大手をも破綻へと導いた深刻な金融危機は、なぜ誰も防げなかったのか。金融危機真っただ中の当時、日本銀行幹部を務めていた和田哲郎氏がその原因を分析し、二度と金融危機を起こさないための教訓を語る。
180もの金融機関が破綻
平成金融危機で何が起きていたか
今から20年ほど前、日本は未曽有の金融危機の中にあった。金融危機は国民経済の安寧を脅かすものであり、再び起こしてはならない。
しかしながら、時間の経過とともに人々の記憶は風化しつつある一方、金融環境は厳しくなってきている。本稿は、金融危機の再発を回避するため、金融危機から学んだ教訓をとりまとめたものである。
教訓を語る前に、そもそも金融危機で何が起きていたか、レビューしておきたい。
平成になると、日本でも金融破綻がはじまり(注1)、平成前半に180もの金融機関が破綻した。その数もさることながら、三塚博大蔵大臣(当時)が「つぶさない」と明言していた大手銀行も3行破綻した。大手銀行の破綻は、日本はもとより、海外でも例を見ないものであった。
1997年11月4日、三洋証券のコール市場でのデフォルト(債務不履行、注2)をきっかけに、11月15日に都市銀行(以下都銀)の一角を占める北海道拓殖銀行(以下拓銀)が、11月24日には四大証券の中でも伝統ある山一證券がそれぞれ破綻した。その後長期信用銀行(以下長信銀)の日本長期信用銀行(以下長銀)が1998年10月に、日本債券信用銀行(以下日債銀)が同年12月に、相次いで破綻した。
(注1)1991年7月に東邦相互銀行(本店所在地、愛媛県)が破綻し、初の預金保険機構・資金援助が発動された。なお、本稿では、金融破綻を原則預金保険機構の資金を用いて処理したケースを指す。
(注2)コール市場は、金融機関間で日々の貸借等を行うマーケットで、ほとんどが無担保のオーバーナイトもの。このマーケットは信用を前提としており、同市場でのデフォルトにより、マーケットは大混乱に陥った。