セブン&アイ・ホールディングス傘下のイトーヨーカ堂が、構造改革を推進しています。2026年2月末までに全国125店舗(2023年3月末時点)のうち33店舗の閉鎖を決定し、祖業であるアパレル事業からも撤退するとの意向も明らかにしています。こうした改革を断行した先に、同社は何を目指しているのでしょうか。(グロービス・マネジメント・スクール 講師 太田昂志)
総合スーパー業界をけん引してきた
「イトーヨーカ堂」の成長と停滞
総合スーパーで知られるイトーヨーカ堂の母体は、1920年に浅草で創業した洋服店「羊華堂」です。1960年代に「衣・食・住」の商品を束ねた“ワンストップショッピング”、かつ、安価で販売する事業モデルに転換すると、イオンやダイエーなどの他の総合スーパーと同様、消費者の支持を得ることに成功。バブル崩壊後の1990年代も、 売り上げが低迷する百貨店に代わって成長し続けます。
ただ、好調はいつまでも続くわけではありません。
停滞のきっかけの一つが、1990年代初期に始まった大規模小売店舗法の規制緩和です。従来、この法律によって大規模小売店の開店日、店舗面積、閉店時間、年間休業日数が調整されていました。しかし、規制が大幅緩和されたことで、大規模小売店の出店ラッシュが始まります。店舗数が過剰になったことで1店当たりの販売効率が低下し、多くの店舗で収益が悪化し始めました。
苦戦を強いた要因はそれだけではありません。2000年代以降、ユニクロやニトリなど、安価で質の高い商品を扱う専門店が台頭してきました。これにより、イトーヨーカ堂の収益の柱だったアパレル事業は、集客力や価格競争力で劣後し始め、売り上げが停滞し始めます。
イトーヨーカ堂はこういった環境変化に対して、衣料品ブランドのSPA(製造小売業)化に取り組むなど事業改革を試みました。しかしアパレル事業の売り上げは、2005年の3073億円から2018年の1535億円へと、13年間でほぼ半減する結果となったのです。
成長の肝であったアパレル事業の停滞も影響し、イトーヨーカ堂全体の営業収益(会社が継続して営む本業からの収益)も2000年代初期に1兆5000億円台だったのが、2020年以降は1兆円台と低迷。かつて小売業界の中でもトップを争っていたイトーヨーカ堂が、窮地に立たされる事態になりました。
なぜこのような状況になったのか、ビジネスモデルから考えてみましょう。