ウェルビーイングと密接な関係にあるヘルスケア

 ウェルビーイングとは「身体的、精神的、社会的に満たされている状態」のことを指すが、その中でもすべての土台となるのが「身体的(フィジカル)ウェルビーイング」であり、従来その身体的ウェルビーイングを支えてきたのが病気の予防やケアを中心としたヘルスケア産業である。ここでは、消費者のウェルビーイングを語る上で言及を避けられないヘルスケア業界におけるウェルビーイングとの向き合い方について、人口減少・高齢化の課題先進国である日本が今後特に取り組むべきポイントとして挙げられる「健康寿命の延伸」や「地域創生」という観点から論じていく。これは前回解説したウェルビーイングを企業経営に組み込むための5つの要諦のうち、「自社なりのウェルビーイングを定義付ける」の観点から参考としていただくと良いだろう。

 まず、一つ目のポイントである「健康寿命の延伸」について考察する。厚生労働省「健康寿命の令和元年値について」から分かるように、日本の平均寿命と健康寿命との間にはおよそ10~15年の開きがあり、高齢化社会が進展する中で健康寿命の延伸は課題先進国日本としての重要なテーマになっている。こうした健康寿命延伸に対する切り口として、フィジカルな意味での健康だけでなく、メンタルやソーシャルな観点を含めた包括的な健康を求める「ウェルビーイング」の考え方が重要視されている。業界各社はこれまで行ってきた身体的な部分のみの「ヘルスケア」から、メンタルやソーシャルに及ぶ部分にまでその定義を拡張させ、新たな顧客価値を創出することが求められている。

 今後業界各社が注力していくことが想定されるこの「ヘルスケア」の定義の拡張だが、既に新たなアプローチを進めているヘルスケア企業の事例を紹介する。住友ファーマは医薬品以外の領域においても「多様な健やかさ」の実現に貢献することを目指し、既存の製薬企業の枠を超えたフロンティア事業としてこれを進める専門の推進室を設置し、新たなヘルスケアソリューションの研究開発・事業化を行っている。実際に、BehaVR, Incと共同で社交不安障害・全般不安障害・大うつ病性障害を対象としたVRコンテンツの共同開発および販売提携を行うなど、医師の処方によるデジタル治療(Digital Therapeutics、DTx)の領域から顧客のメンタル面におけるウェルビーイングへのアプローチに成功している。

 二つ目のポイントである「地域創生」の観点も同様に今後のヘルスケア業界が抱えるウェルビーイングにおける重要テーマといえる。前述の「健康寿命の延伸」に向けた予防・健康づくりに対する取り組みが国を挙げて進められる中、地域ごとに医療の質や需給バランスに格差があるなどの課題が散見されている。こうした前提の下、ヘルスケア企業を中心に、地域ぐるみでヘルスケアエコシステムを形成して地域医療の質向上を目指す取り組みが見られるようになってきている。

 グラクソ・スミスクラインは、長崎地域医療連携ネットワークシステム協議会「あじさいネット」および疾患管理システムYaDocを提供するインテグリティ・ヘルスケアと包括連携協定を締結し、ICT(情報通信技術)基盤の利活用による地域医療連携の強化と地域医療の質向上を目的としたヘルスケアエコシステムの形成を推進している。グラクソ・スミスクラインは同社が有する特定疾患領域における豊富な経験と専門性を地域医療連携ネットワークやオンライン診療などのICT基盤に対して提供することで、エコシステムの有用性向上に貢献する。同様に、アース製薬と静岡県など製薬企業と地方自治体との包括連携協定締結によるエコシステム形成の動きは広く業界全体で見られるようになっており、今後も同様の取り組みが全国各所で加速していくことが見込まれる。

 ヘルスケア企業にとっては、これらの課題に向き合い消費者のウェルビーイングに対するアプローチを拡張させていくことが社会価値およびブランディングの観点で深い意義を持っている。消費者のウェルビーイング実現へ貢献することは中長期的に企業に対する信頼性を高め、結果として購買意欲や関係性継続意向の向上として企業の経済価値の拡大につながっていくはずだ。また、世界最先端の課題先進国である日本において当該課題の解決に向けて一歩踏み出し、得られた成果を基にその取り組みをグローバルに横展開することには多大な意義・価値があるのではないだろうか。

 ここまで論じたように、消費者向けウェルビーイングを通じた経済価値の最大化の重要性は高まっており、さまざまな業界でこれに対するアプローチが検討され始めている。ファンマーケティングやヘルスケア業界を例にこの潮流を示したが、社会全体におけるウェルビーイング意識の高まりやLTV型ビジネスへの転換などを背景として、今後はより多くの業界でWXが推進されるようになることが見込まれる。実際に、国主導のまちづくりや住生活を支える建築・不動産業界など、さまざまな領域において消費者向けウェルビーイングに取り組む動きが見られる。消費者向けウェルビーイングが向こう10~20年のスパンで広い領域に対して浸透していく重要なコンセプトになっていくことは自明である。

 今回は消費者向けウェルビーイングが競争優位につながることを考察したが、次回以降は従業員向けウェルビーイングをテーマに連載を進めていく。

LTV最大化につながる「消費者向けウェルビーイング」 髙木健一(たかぎ・けんいち)
PwCコンサルティング合同会社 Strategy& ディレクター。消費財をはじめとする幅広い業界に対するビジョン策定、全社/事業戦略、顧客戦略/マーケティング/ブランディング、新規事業開発、組織変革等の戦略コンサルティングを手掛ける。また、ウェルビーイングを起点とした経営をテーマにして、アカデミア等との連携を踏まえて、書籍、寄稿、登壇、動画出演等による多数の情報発信や調査、関連プロジェクトを行う。ベネッセコーポレーションにてマーケティング・編集業務、ボストン コンサルティング グループ(BCG)、アクセンチュアにてコンサルティング業務を経験し、現職。京都大学理学部卒、香港科技大学経営学修士(MBA)。

 

LTV最大化につながる「消費者向けウェルビーイング」石川 武(いしかわ・たける)
PwCコンサルティング合同会社 シニアアソシエイト。外資系コンサルティングファームを経てPwCコンサルティングに入社。全社デジタル戦略、事業開発、マーケティング戦略案件を中心に幅広い業界に対するコンサルティング実績を有する。慶應義塾大学経済学部卒。