関西財界の「総本山」こと関西経済連合会の正副会長の座に就くことが許されるのは、関西に縁が深い大手企業の経営者だけだ。では、歴代の正副会長を最も多く輩出した「名門企業」はどこか。20回超にわたり公開予定の特集『「大阪」沈む経済 試練の財界』の#10では、ダイヤモンド編集部が関経連の正副会長ポストをスコア化。関西財界に君臨してきた名門企業51社の独自ランキングを作成した。6位だった名門電機のパナソニックホールディングスを上回るトップ5はどこか。最も要職を歴任した経営者トップ25も公開する。(ダイヤモンド編集部編集委員 名古屋和希)
財界ポスト巡り、過去に熾烈な抗争
幹部最多輩出の名門企業を序列化
大商戦争――。
関西を代表する経済団体、大阪商工会議所では会頭の座を巡り、そう形容される血みどろの戦いがかつて2度生じている。
1度目は1960年。久保田鉄工(現クボタ)と住友化学工業(現住友化学)が財界を二分して、トップの座を争った。激しい会員企業の票集めを制したのはクボタだった。
81年の第2次大商戦争では、近畿日本鉄道(現近鉄グループホールディングス)と住友化学の対立構図となった。在任が10年を超えた近鉄会長の続投に反発した住友化学の会長が出馬した。
もう一つの財界の雄、関西経済連合会の首脳らも2陣営をそれぞれ支援して真っ二つに割れたほどだ。200日を超える抗争は最終的に、禍根を残さないよう、第三者の起用が模索される。そして、都市銀行の大和銀行(現りそな銀行)の会長を起用することで落着する。
関経連でも90年代に激烈な抗争が起きている。東洋紡績(現東洋紡)出身の宇野收氏が、次期会長の大本命だった関西電力の首脳を外し、住友電気工業の川上哲郎氏を後継に指名したのだ。
背景には、関電が経済団体を押さえることへの米国の圧力があったとされる。当時、日米間では貿易摩擦が激化していた。米国は関電の規制緩和への姿勢に懐疑的だったのだ。東洋紡に勤めた経験がある橋本龍太郎通商産業相が宇野氏との関係を基に、川上氏を後押しするなど大物政治家も動いた。
しかし、激怒した関電だけでなく、住友金属工業(現日本製鉄)や松下電器産業(現パナソニックホールディングス)も川上体制とは距離を置き、関経連に分裂が生じる。
結局、短命に終わった川上体制を受け継いだのが名門の住金である。住金の新宮康男氏は融和に汗をかき、わずか2年で関電出身の秋山喜久氏にバトンを渡した。
近鉄、クボタ、住友化学、東洋紡、住友電工、関電、住金……。こうした財界の主要ポストを巡る激しい闘争に登場するのが、関西を地盤とする名門企業である。産業構造の転換や時代の移り変わりとともに、財界の顔役は変遷を遂げてきた。
では、最も財界の主要ポストに幹部を送り込んだ名門中の名門企業はどこか。ダイヤモンド編集部は、関経連の正副会長ポストを独自にスコア化し、企業ごとに集計。財界の名門企業ランキングを作成した。
次ページでは、関経連の幹部を過去に務めた全51社の序列を全公開する。名門電機のパナソニックホールディングスの6位を上回るトップ5はどの会社か。また、最も要職を歴任した「大物経営者」トップ25も公開。トップ10は、関西の超名門4社の経営者が占めた。