目的達成のためには
手段を選ばない業界

 現在、こうした贈答については、特定の顧客に対し特別な利益供与に当たるとされ、厳しいコンプラチェックにさらされる事案にもなりかねない。だが、三十数年前は日常茶飯事だった。いずれにせよ、いつの時代も、目標達成のためには手段を選ばない業界だと感じる。

 当時の私は、例えばクレジットカードの契約目標件数は月間150件。常軌を逸した数字であり、正攻法では達成など難しく、家族、親戚、大学時代の友人、後輩、さらにその兄弟など、あらゆる縁を頼り、拝みこんで契約してもらっていた。

 同じ商店街のライバル銀行や地銀、信金の若手とも仲良くなり、お互いに契約の申し込みをし合う人脈までができあがった。我々の間では「バーター」と呼んでいたが、文字通り、ただ数字を作っているだけで、何の生産性もない行為だった。クリエイティブな部分は何もない。ただただ馬鹿になって、契約を取り続けるのみ。こんな仕事だから、銀行業界は体育会系で体力勝負のできる人間がふさわしく、また求められていたのかもしれない。

 中でも定期預金の書き換えは、私にとって嫌な仕事の一つであった。まだ投資信託が銀行窓販されておらず、外貨預金も一部法人の決済用口座としてのみ使われていた時代だ。バブルがはじけ、継続交渉の度に提示できる金利条件が悪くなる一方だったので、客からはただただ嫌みしか言われなかった。

 そのような中で、ハッタリと勢いだけは、村石課長の右に出る者はいなかった。ある日、他行に金利で負け、預金流出のピンチだった際、客に対してこう言い放った。

「お客さま、金利が高い銀行は経営が厳しい証拠ですよ。無理してでも高い金利にしないと、お金が集まらないんですから。だから、うちは低いんです。経営が健全ですから。いいですか、銀行がつぶれたら預けているお金がパーになるんですよ! その辺りをよく考えて銀行を選んだ方がええですよ」

 他行の状況など忠告できる立場にないはずの銀行。実際、その数年後、不良債権にあえぐ都市銀行は合併を繰り返し、3メガバンクに収斂(しゅうれん)されていく。金融危機の折、ひたすら融資金利を引き上げ、担保を追加してもらうといった貸出条件の改善交渉に明け暮れ、預金維持に費やす体力はなくなったのだ。