今、世界的に注目を集めているのがエピクテトスという奴隷出身の哲学者だ。生きづらさが増す現代において、彼が残した数々の言葉が「心がラクになる」「人生の助けになる」と支持を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をマンガとともにわかりやすく紹介した『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』が日本でも話題だ。今回は、本書の中から、「遠くから欲望を投げかけるな。君のところにやってくるまで待ちなさい」というエピクテトスの言葉を紹介する。

「過去を引きずってしまう人」と「そうでない人」の考え方。その決定的な違いphoto:Adobe Stock

「過去」にも「未来」にも何かを求めてはいけない

 記憶しておくがよい。君は、饗宴の座に列するときのように振る舞うべきであると。
 ある料理がぐるりと回って君のもとにやってきた。手を伸ばして行儀よく自分の分だけ取るがよい。通り過ぎてしまった。引き留めるな。まだ来ない。遠くから欲望を投げかけるな。君のところにやって来るまで待ちなさい。

 ここでは、誰でも知っていたであろう当時の宴席でのマナーを巧みに引用しながら、エピクテトスは実人生での欲望のあり方をさとしている。

 古代ギリシア・ローマ時代の饗宴(シンポシオン)は、様々なお祝い事に際して、名士が自宅に知人友人を多数招いて夕方から夜にかけて開かれた。

 だがフランス料理の晩餐のように、1人分ずつ最初から取り分けられた料理を食べるわけではない。給仕役の奴隷が運んでくる皿の上の料理を、片手で次々に取っていくという形式だ。今日で言う中華料理の「円卓」と事情はそれほど違わないだろう。

 だから自分の前に料理が回ってきたのに、うっかりしているとすぐに隣に運ばれていってしまうし、好物の料理があっても、皆が順番を待っているからすぐには回ってこない。

 たまたま機会に恵まれれば、これらを享受することには何の差支えもない。だがいったん機会が失われれば、いつまでもそれに執着していてはいけない。逆に、好機が来ないかといたずらに期待だけが先走ってもいけない。

 要するに、過去にも未来にも欲望の目を向けることなく、現在の与えられた状況を見据えて、それを享受すること。それが、エピクテトスの考える正しい欲求のあり方なのである。

 現在の状況だけに関心を向けることができれば、後戻りができない過去に引きずられることもなければ、不確かな未来に心を揺さぶられることもない。こうして平常心を保つことは、集中力を高めることにもつながるだろう。

(本原稿は、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』からの抜粋です)