今、世界的に注目を集めているのがエピクテトスという奴隷出身のストア派哲学者だ。生きづらさが増す現代において、彼が残した数々の言葉が「心がラクになる」「人生の助けになる」と支持を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をマンガとともにわかりやすく紹介した『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』が日本でも話題だ。今回は、本書の中から、「快楽を遠ざけることで、どれほど君は喜び、自分で自分を讃えることになるかわかるだろう」というエピクテトスの言葉を紹介する。
目の前の快楽より、日々の小さな苦労
エピクテトスは、ストア派の伝統に従って、悪しき感情を「恐怖」「苦痛」「欲望」「快楽」の4つに分類した。エピクテトスにとっての理想の境地は、「行き過ぎた感情に流されずに、自分を見失わないこと」であった。
ここで「快楽」が悪しき感情のリストに含まれている点が面白い。わざわざ快楽を遠ざけるのは、人間がどうしても享楽に傾きがちであり、また快楽にふけるせいで自分の進むべき進路に狂いが生じるからである。我々が苦しみ悩むのは、過度な苦痛や恐怖にさいなまれる時だけではないのだ。
だから、楽しいからといって即座にそれを享受するのではなく、「ちょっと待て」と、あえて対象との距離感を保つ冷静な態度が求められる。美味しいものばかりを食べ、運動不足で楽ばかりしていれば、やがて健康を害するだろう。
快楽は、そればかりを追い求めていると、かえって将来により大きな苦痛を背負い込んでしまう。だが我々は、それをわかっていながら、つい見て見ぬふりをしてしまう。
だから、エピクテトスはあえて現在の小さな苦痛を選択することが、将来における大きな苦痛を回避すると説く。
俗に「今日の一針、明日の十針」というように、貯金や節制という考えは、すべてこうした原理にもとづく。禁欲的に生きることが、かえって人生を楽しむことにつながるのだ。
目標を決めて少しずつ努力を怠らず、苦労を重ねてようやく大業を達成する喜びは、単なる飲んだり食べたりという感覚的な快楽とは違った経験である。「やったぞ」「できた」という達成感は、大きな自信を生み出すことにもなる。反対に、快楽に流されてやるべきことができなかったことは後悔につながる。
目先の誘惑や魅力よりも、その快楽にすっかり打ち克ったという自覚のほうが、よほど優れたものであることをエピクテトスは伝えている。
(本原稿は、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』からの抜粋です)