システム障害の“有事”に
朝から陣頭指揮した支店長

 そんな中で、しっかりと対応していた支店もあった。この度の状況を情報交換したところ、ある支店長が朝から陣頭指揮し対応に当たっていたと言う。

 その名前を見て驚いた。宮崎中央支店で苦楽を共にした一つ下の後輩、諏訪君だった。当時の寺川支店長からは、絶対に達成できない営業目標を押し付けられ、私たちは毎日恫喝されていた。

 私は寺川支店長から最低の人事評価を受けたことがきっかけで、後に全国トップクラスの営業成績を挙げても、人事制度的に平社員から昇格できない扱いになってしまった。諏訪君はやっと掴んだ10億円もの融資案件を寺川支店長に握りつぶされ、契約を台なしにされた。

 彼とは独身寮で同じ釜の飯を食べ、慰め合った同士だった。彼は、人生で最も楽しいはずの20代を、宮崎のパワハラ支店で過ごしていた。お互い成果なく外回りから帰った時には「一緒に怒られましょう」と声をかけてくれた。同僚を蹴落とすことが当たり前の銀行の世界で、チームワークの喜びを感じることができた。

 その後、彼とは年賀状をやりとりする程度の付き合いだった。諏訪君は現在、首都圏にある大規模店の支店長を務めている。彼は開店前から、最寄りの三星銀行をはじめ金融機関6行で情報を共有し合い、来店客の混乱を未然に食い止めたそうだ。

 システム障害などの“有事”に何をすべきか考え行動するバイタリティ。過去に何度も起きたシステム障害から何を学んだか、そこが重要だ。銀行のシステムがすぐに修復できなくても、利用客に対しては、適切な案内や代案を伝えることはできるはずだ。

 暗黒の宮崎中央支店時代、諏訪君とともに過ごした日々は当時、笑顔もなく夢も希望もなかった。ただふたりは当時の寺川支店長を反面教師とし、自分たちが将来「長」のつく肩書きをもらった時には、あんな人には絶対にならないという強い「思い」があったと思う。当時はただ愚痴をこぼしあい、慰め合っただけだったが、あれから20年以上経ち、支店長になった諏訪君の行動を聞いた今、当時の「思い」が鮮明に蘇ってきた。

 諏訪君が首都圏にある大規模店の支店長を任された遠因には、数万人ものMグループ従業員の中で、ふたりだけが共有する「思い」があった。一方、25年の歳月を経て、私との差を垣間見た気がした。

書影『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)
目黒冬弥 著

 諏訪支店長に仕えている部下たちは将来、有事の時に今回と同じ行動をとるだろう。「こんな時に諏訪支店長だったらどうするか?」きっと反芻するに違いない。支店長が自ら行動で示したことで、部下たちのDNAに刷りこまれたと思う。

 そんな支店長が活躍している我がM銀行は、まだまだ捨てたものではない。

 有事において一番大事なことは、他人事にしない当事者意識と強い責任感だ。上に立つ者ほど、その自覚が必要だと思っている。

 一緒に怒られましょう。この素晴らしい言葉のおかげで、私は当時を生き延びた。この銀行に勤務して数十年、悲喜こもごもあった。今日も我が行を愛しながら、さまざまな業務を遂行している。

(現役行員 目黒冬弥)