AI時代、最重要の教養の一つと言われる「哲学」。そんな哲学の教養が、一気に身につく本が上陸した。18か国で刊行予定の世界的ベストセラー『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』(スコット・ハーショヴィッツ著、御立英史訳)だ。イェール大学とオックスフォード大学で博士号を取得した哲学教授の著者が、小さな子どもたちと対話しながら「自分とは何か?」から「宇宙の終わり」まで、難題ばかりなのにするする読める言葉で一気に語るという前代未聞のアプローチで、東京大学准教授の斎藤幸平氏が「あらゆる人のための哲学入門」と評する。本稿では、同書より特別にその一節を公開したい。
「あの人、黒い」と言った子どもに教えたこと
多くの人が、人種という概念は捨てるべきだと思っている。実際、すでに自分は捨てたと思っている人もいる。そして、「私は肌の色なんか気にしない」と言う。
だが、それは本当ではないことをだれもが知っている。うんと幼い子どもでさえ、肌の色を見る。そして、しばしば親を困らせる方法でそれに反応する。
息子のハンクはよちよち歩きを始めたころ、「あの人、黒い」と何度も言った。レックスも同じことを言った。皮膚は人間の身体の重要な特徴なので、肌の色が人によって違うことに気づかないわけがない。
子どもたちは幼いころ、毎日わが家とJCC(ユダヤ・コミュニティ・センター)のあいだを往復していたので、肌の色が白い人ばかり見ていた。なので、肌の色が違う人を見るのは、彼らにとって新鮮な体験だった。だからそれを口に出した。子どもとはそういうものだ。
子どもがそんなことを言ったとき、私たちはいくつかのことを教えた。
第一に、肌にはさまざまな色があるということ。これは単純な事実の指摘だ。ただし、色の見極めについては多少の難しさもあった。ハンクは、大人が色を間違えているかのような口ぶりで、「ぼくの肌は白くない。ピンクっぽいし、茶色も混ざってる」と言った。
第二に、肌の色は重要ではないということ。私たちの身体はみんな違う。大きい人もいれば小さい人もいる。背の低い人も高い人もいる。目も、髪も、肌も違う。でも、その違いのために、ほかの人と違う扱い方をしてはならないことを教えた。
第三に、肌の色は重要──とても重要──だということ。肌の色が重要ではないというのは、道徳的な意味においては重要でないということであって、社会的には間違いなく重要だ。
「肌の色なんか気にしていない」と言うだけでは解決しない
いくつかデータを紹介しよう。
アメリカの家庭が保有する資産を見ると、黒人家庭の中央値は、白人家庭の中央値の15%にも届かない。失業率は、黒人労働者は白人労働者の2倍も高く、スキルに見合った仕事に就ける可能性も低い。
白人の生徒が多数を占める学区では、子どものために支出される教育予算は、そうではない学区より生徒一人当たり年間約2200ドルも多い。
白人は黒人より長生きする。その差は、最新の調査では約3.6年だ。白人は黒人よりよい医療を受けることもできる。
最後に、黒人男性は白人男性より刑務所に入る確率がはるかに高い。2015年には、黒人の若者の9.1%が刑務所に入っていたが、白人の若者は1.6%にすぎなかった。
いま挙げたことのすべては関連しあっている。さらに、互いに強化しあっている。すべて奴隷制度に始まり、奴隷制度廃止後も続く、長く恥ずべき歴史の反映だ。
たとえば、人種間の貧富の差は赤線引き〔訳注:金融機関が特定地域を対象として行う融資制限〕の結果だ。これによって黒人は家を買って資産を形成することを妨げられた。1921年のタルサの暴動(ブラック・ウォールストリートと呼ばれていた黒人たちのビジネス街が破壊された)のような暴力も、貧富の格差の反映だ。もちろん日常的な差別の反映でもある。
刑事司法制度の分野での人種格差は、黒人を白人よりも厳しく取り締まり、罰するという意図的な決定の表れだ。一例を挙げると、白人と黒人の薬物使用率はほぼ同じなのに、黒人は薬物犯罪で逮捕される割合が白人より4倍近くも高い。
子どもたちが小さいうちは、こうしたデータまでは話さなかったが、アメリカ社会には黒人をないがしろにしてきた長い歴史があることは伝えた。そして、黒人に対するそのような扱いは、過去の歴史ではなく、現在の私たちの一部でもあることを伝えた。
私たちは人種差別を過去のものにできるだろうか? できるかもしれない。しかし、簡単なことではない。人種が意味を持たない世界に住みたければ、格差をなくさなければならない。「私は肌の色なんか気にしていない」と言うだけでは問題は解決しない。
(本稿は、スコット・ハーショヴィッツ著『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』からの抜粋です)