──福島・川俣は古くから養蚕が盛んで、絹織物の産地として知られていますね。
齋藤 その川俣の機屋(はたや)で初めて「川俣羽二重」を製織したのが、弊社の初代である齋藤儀右衛門です。創業は1848年、私は6代目に当たります。
代々、絹織物を製造し続けてきましたが、海外産の安価な生地に押され、昭和初期をピークに生産量は減り続けました。大手メーカーの下請けを始めたものの、厳しい要求に苦しみ、「下請けのままでは未来が見えない」と感じました。そこで1970年代の終わり頃から新たな事業に挑戦するようになりました。
──何から取り組んだのでしょうか?
齋藤 まずは下請けを一切やめて、独自の生地を開発し、直接販売することにシフトしました。自ら糸を買い、織りを設計。試作しては東京に売りに行くことを繰り返しました。
──すぐにうまくいったのでしょうか?
齋藤 いいえ、簡単にはいかず、資金繰りに大変困窮しましたが、10年以上、地道に織りの技術を磨くうち、転機が訪れました。ファッションデザイナーの故・三宅一生さんのスタッフと東京の織物展で出会ったのをきっかけに、弊社の生地が95~96年のイッセイ ミヤケのパリコレクションで採用されたのです。弊社の技術を結集し、シルクと化学繊維を交繊させて、薄く透けるガラスのような生地を生み出しました。
これで名が知れ渡り、ファッション関係にとどまらず、有名家電メーカーから「お掃除機能付きエアコン」のフィルター、医科大学から体内で使う絹の生地などの開発も依頼されるようになりました。
──努力が実を結んだのですね。
齋藤 ただファッション関係は、はやり廃りがあるので生産が安定しません。お客さまに長く愛されて身近で役に立つ商品が作れないか。そんな考えを基に、2004年に開発したのが「ミラクルロール」です。