石橋氏を有楽町のサイゼリアに呼んで「僕と一緒にやった方が、人生がめちゃくちゃになって面白いと思います」と口説き、再び共に働くことが決まる。Kaizen Platformとしての物語が始まった瞬間だ。

リクルートの送別会
リクルートの送別会。須藤氏は10年務めたリクルートを離れ、起業の道へ進んだ  画像提供 : Kaizen Platform

「無知で勘違い野郎だった」名門アクセラに落選、米国起業にも苦戦

Kaizen Platformは2013年3月にKAIZEN platformとして米国・デラウェア州で創業したスタートアップだ。

当時須藤氏が思い描いていたのは米国の著名アクセラレーター・Y Combinator(YC)のプログラムに参加し、米国を拠点にビジネスを展開すること。ただそう上手くはいかなかった。

採択されるものだと思っていたYCは落選。米国で起業したものの、ちょうど同時期に開催されたボストンマラソンでテロが発生したこともあり、ビザの問題も発生。現地で事業をスタートするのが難しい状態になった。

「当時は本当に無知で勘違い野郎でした。それまでプレゼンで負けたことなんてほとんどなかったし、面接にも落ちないタイプだったので、(YCの審査に)まさか落ちるなんてことは考えていなかった。これはちゃんとやらないとヤバイなと、ようやく気が引き締まりました」(須藤氏)

同年4月、KAIZEN platformの日本支店を都内に開設し、日本から事業に取り組むことを決断。最初のオフィスは、他のスタートアップの会議室に間借りした。

空調の状態があまり良くない部屋の中、男性メンバー数人でサービス作りに取り組んでいたこともあり、須藤氏の初めての仕事は「近くのドンキホーテにファブリーズを買いにいくこと」だった。

会議室を間借りした最初のオフィス
Kaizenの最初のオフィスは「他のスタートアップの会議室」だった  画像提供 : Kaizen Platform

本格的に事業をスタートしてからも慣れない日々が続く。用意した資本金はすぐに底をつき、「なんでこんなに資金がないんだ?」「呼吸してるだけでも金は出ていくんだ」と“揉める”こともあったという。

それでも「とにかく全速力でサービスを開発し続けること」だけは妥協したくなかった。そこでリクルート時代からの知人でもあるVC・ANRIの佐俣アンリ氏から資金調達に関してレクチャーを受けた後、須藤氏は初めての外部調達に挑む。

日米で合計130社ほどのVCにコンタクトをとった結果、出資に興味を示してくれた投資家が約30社ほど見つかった。最終的には2013年8月にグリーベンチャーズ(現・STRIVE)、GMO Venture Partners、サイバーエージェント・ベンチャーズの3社より80万ドルを調達。同月には創業前より仕込んできたプロダクト(当初のサービス名は「planBCD」)を機能を限定する形でローンチした。