「このまま会議室で死んだら後悔する」リクルートの出世コースを離れて起業、Kaizen上場までの歩み
 

「現場から離れてこのまま会議室で死んだら、後悔する」

人の考える力はすごい。それを“集合知”のような形で集めて、課題解決に活かせないだろうか──。Kaizenの事業はそのようなアイデアから生まれたものだ。

インターネット領域に限らず、成長産業はその成長が続く限り、常に人が足りず求人を募集し続けることになる。これからの時代、その現場では絶対に「アウトソーシング」のような仕組みが必要とされるため、ソフトウェアとアウトソーシングを上手く組み合わせた仕組みを事業にできれば、大きな成長が見込めると考えた。

「デジタルの領域は人が足りていない。そこに対して『ソフトウェアを通じたアウトソーシング』によってたくさんの人の集合知を活用でき、そのデータをみながらチームでPDCAを回せる仕組みがあれば、間違いなくニーズはある。その考え方自体は、C-TEAMをやっていた頃から全く変わっていません」(須藤氏)

まずは2012年の3月頃から1つのプロジェクトとして、本業以外の時間を使ってプロダクトの準備を始めた。並行して6月には会社にも退職の相談をするようになる。

「大企業の執行役員としての仕事も面白かったけれど、会社として事業を大きくしていくにはどうするべきか、さらに利益を出すには何をするべきか、といった視点で考える仕事がほとんど。自分が好きだったユーザーや顧客体験について現場で考える機会からは遠ざかってしまっている感覚でした。(大企業の執行役員としての仕事は)ある意味、自分がもっとおじさんになってからでもできる仕事ではないか。少なくとも30代前半ではもっと手触りのある仕事をやりたいし、このまま会議室で死んだら後悔してしまうと考えるようになったんです」(須藤氏)

当時の須藤氏は早朝から夜の会食まで、週に50〜60本ほどの会議をこなすような日々だった。もう一度サービス作りに没頭したいと考えた時、起業という選択肢が頭に浮かんだ。

以前から社内の目標管理シートに「30代で、グローバルで仕事をするIT企業を経営できる人になりたい」と記していたことも大きい。この目標にチャレンジする上でも、自ら事業を立ち上げることは自然な流れだった。

会社を辞めることを決めた須藤氏が一緒に会社をやろうと声をかけたのが、リクルート時代の同僚でKaizenの共同創業者となったエンジニアの石橋利真氏。石橋氏と直接仕事を共にしたのはリクルート内の新規事業部門「メディアテクノロジーラボ」在籍時の8日間だけだったが、その間に2人で意気投合し、一緒にシステムを作り上げた時の印象が強く残っていた。