「空気を読む」という日本語の表現が、“kuuki o yomu”と、まずはローマ字で海外に伝わり、今では“read the air”という従来存在しなかった英語の表現を生み出すまでになったのをご存じだろうか? 生まれてからずっと「空気を読む」訓練をしてきた日本人は、実は意外にも、グローバルビジネスで大活躍できるポテンシャルを持っている。ただし、“異文化の空気”を読むためには、ちょっとしたコツがある。(パタプライングリッシュ教材開発者 松尾光治)
日本が誇る!?「空気を読む」
「read the air」の新表現に!
先日、実名制の世界的ナレッジコミュニティー「Quora」の英語版を眺めていたところ、こんな質問が投稿されていた。
Why does the Japanese skill “to read the air” only and exclusively exist in Japanese culture and is completely absent from Western culture?
(なぜ「空気を読む」という日本人のスキルは日本文化だけに存在し、西洋文化には全くないのですか?)
この質問に対して、日本在住の外国人や日本人配偶者を持つ外国人の多くが、「“空気を読む”のは日本特有のものではない」といった趣旨の返答をしている。
「正直ちょっと意外だな」なんて思う読者が多いのではないだろうか? 筆者は米国で暮らして30年以上になるが、上記の質問者の気持ちも、回答者の意図も、両方分かる。
というのも、日本語の「空気を読む」にニュアンスが近い英語としては、read the room(公演やプレゼンの前に観客や聴衆の雰囲気を読む)、read between the lines(行間を読み取る)、take a hint(人がはっきりと口に出さない意図や気持ちを相手の態度や表情から察する)といった表現がある。これらが意味するのは、他人やその場の状況に対する「洞察力」と言っていいだろう。そして、洞察力は文化背景に関係なく、(程度の差こそあれ)誰でも持ち得るものだ。
このQ&Aで気になったのがもう一つ。そもそも英語には、これまでread the airという表現は存在しなかった。ではなぜ、「空気を読む」という日本語の表現が、kuuki o yomuと、まずはローマ字で海外に伝わり、今ではread the airというそれまで存在しなかった英語の表現を生み出すまでになったのか?
それは、日本人が対人関係で行う洞察力が、世界で突出したきめ細やかさと深さを持っているからだろう。そして、日本人の空気を読む能力は、異文化との接触機会がますます増えている海外で、日本人が活躍するための貴重な特質になると考える。