パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
怖くなって
ビジネスから撤退
僕らはおよそ1年で、アトコレの事業からの撤退を決めることになります。その理由を端的に言うと、「怖くなったから」です。
スタートアップのビジネスは、赤字は当然のものとして、新しい市場を生み出すまで継続するのが基本です。
赤字を続けながらも資金調達を繰り返して会社を成長させ、ゆくゆくは上場させて黒字化を目指す。
お金が減っていくのは恐怖
そんなことはもちろん理解していたのですが、口で言うのは簡単でも、実際にお金が減っていくのは思った以上の恐怖でした。
投資してくれた人たちの期待に応えられるのだろうか
僕たちは貴重な時間を無駄にしているんじゃないのか
日に日に減っていくキャッシュ(現金)のこと、次の資金調達のこと、そもそもこのアイデアを続けて将来があるのかという疑問……いろいろな不安が積み重なってどんどんネガティブな思考に陥っていき、やがてメンバー同士の関係もギクシャクしていったのです。
自分たちに足りなかった
シンプル過ぎるポイント
今考えてみると、あの頃の僕には、起業家としての“胆力”が足りませんでした。
もともとアトコレのビジネスモデルでは、すぐにマネタイズできないことは明白でしたし、長く勝負すべきビジネスでした。
にもかかわらず、短期的な成果が出ないことにビビってしまい、強いビジョンも示せず、メンバー全員がネガティブな思考に陥ってしまっていました。
頭でわかっていても
実際にはできないこと
あのときにやるべきことは明らかでした。毎月必要になるキャッシュを低く抑え、地道にサイトを改善し、ユーザーを集め、広告媒体として成立するところまでまずはもっていく。
そうしてユーザーの熱量を高め、ここでしか買えないアート作品を販売したり、ここでしか得られない情報を提供したりすれば、収支が改善した可能性はありました。
でも、僕らはネガティブな思考にとらわれ、身動きがとれなくなっていたのです。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。