パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

大手企業の内定を蹴って、小さなスタートアップへ就職、2年後に上場を果すまでPhoto: Adobe Stock

流れが変わった出来事

リクルートへの内定を得てから、クラウドワークス創業者の吉田さんに誘われてインターンとして働いたところ、就職を誘われて迷っていたとき、流れが変わる出来事がありました。

米シリコンバレーに行く機会を得たのです。当時、クラウドワークスは、IVS(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)というスタートアップ企業や投資家らが集まる国内最大級のイベントに参加し、ピッチイベントで優勝していました。

ピッチイベントとは、スタートアップ企業がプレゼンテーションをして優勝を決めるイベントのことです。

スタートアップの聖地へ

その賞品がシリコンバレー旅行で、僕も「ホテル代と航空券は自分で払いますから、一緒に連れて行ってもらえませんか」とお願いして、同行させてもらうことにしたのです。

シリコンバレーはスタートアップの聖地であり、グーグル(親会社・アルファベット)やヤフー、アップルなど名だたるスタートアップが生まれている場所です。

僕もシリコンバレーに憧れを抱き、いつかは行ってみたいと思っていました。ワクワクしながら同行することになったのですが、現地に着くと想像をはるかに超える空間が広がっていました。

スタートアップの文化に触れる

街には美しい緑とオフィス、住宅街が広がっていて、空がとても広く青い。

スタンフォード大学を訪れると、広大な芝生の緑と空の青さのコントラストが鮮やかで、あたりにエネルギーが満ちあふれていました。

僕たちは、起業家やVC(ベンチャーキャピタル)の投資家と話をしたり、グーグルやフェイスブック(現・メタ)のオフィスを見学したりして、スタートアップの文化を肌で感じました。

スタートアップに
執行役員として参画

そして、「自分もやっぱりこういう世界で生きていきたい」という気持ちが強まってきたのです。

そのシリコンバレー旅行のとき、吉田さんは僕を、あらためて「クラウドワークスに入らないか」と説得してくれました。

そして悩んだ末に、僕はクラウドワークスに入社することを決めたのです。2012年9月の出来事でした。

そして、「入社することを決めてくれたから、執行役員として入社してほしい」と提案をいただきました。

創業者の自信と強い意志

大学4年生の若者に役員としての入社を提案するというのが、吉田さんのすごさです。

あのとき吉田さんは、「2年でダメだったら辞めてもいいから」と言っていましたが、きっと「2年あれば成田を満足させられる」という自信があったのでしょう。

「会社は必ず上場させる」「それ以上に大きな会社にしたい」と、サンフランシスコのバーで話していたのを、今でも鮮明に覚えています。

言葉通りに上場を果たす

吉田さんの言葉は、その通りになりました。

クラウドワークスに執行役員として入社することが正式に決まり、僕はスタートアップのビジネスにフルコミットする日々を過ごすことになります。

それからおよそ2年がたった2014年12月、僕が25歳のときにクラウドワークスは東証マザーズ上場を果たしました。

※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。