2001年の半ば、米中関係は悲惨な状況にあるように見えた。  その2年前、北大西洋条約機構(NATO)のミサイルがセルビア(旧ユーゴスラビア)の中国大使館に着弾し、中国人3人が死亡した。そして2001年4月の偵察機危機(中国機が同国沿岸近くで米軍機と衝突し、中国人パイロットが死亡)が緊張をさらに高めた。  多くの人は、米中関係が悪化の一途をたどり、今後数年はそれが世界の不安定化を招く主な要因の一つとなり、恐らくは不安定化の元凶になると考えていた。だが2001年後半には、これはばかげた予測か、少なくとも時期尚早の予測のように思われた。