みずほフィナンシャルグループ
取締役会議長の小林いずみ
東京・世田谷区の閑静な住宅街の中にある。中高一貫のキリスト教系の私立女子校だ。「考える恵泉」をキャッチに、「自ら考え、発信する力」を養うことを、教育の柱に据えている。
「多様な個性を尊重する姿勢」という校風を地でいった卒業生が何人もいるが、その筆頭に挙げられるのは、みずほフィナンシャルグループ取締役会議長(社外)の小林いずみだろう。
小林は、公立中学から恵泉女学園高校を経て成蹊大文学部文化学科を卒業した。最初に入社したのは、三菱化成工業(現三菱ケミカル)だった。すぐに辞め、外資系のメリルリンチ日本証券に転職した。営業職として頭角を現し、2001年に社長に就任、社員の半分以上をリストラし、その剛腕ぶりが金融界で評判になった。
02年から大阪証券取引所取締役を兼務、07年から09年まで経済同友会副代表幹事になった。これ以降、多数国間投資保証機関長官のほか、ANAホールディングス(HD)やサントリーHD、三井物産、オムロンなどの社外取締役にも就任した。
公職としては、文部科学省中央教育審議会委員、金融庁金融審議会委員、日本放送協会経営委員などに就き、15年からは再び経済同友会副代表幹事に就いた。20年からはみずほフィナンシャルグループ取締役会議長のポストに就任している。
「キャリアウーマン」という言葉は、色あせた。「女性リーダーの新しいロールモデルを打ち出した」とでも、小林を評することができるだろう。
小林は高校時代について、「先生も、生徒も個性的な人が多かった」「『右向け右』という教育を受けてこなかった。多感な時期を自由な環境で育ったことは幸運だった」と、述解している。
ビジネスで活躍したOGでは、山瀬輝子がファミレスのデニーズなどを展開するセブン&アイ・フードシステムズの取締役兼執行役員を務め、22年5月に監査役になった。
社会福祉分野では、元婦人相談員だった兼松佐知子がいた。21年12月に96歳で死去した。1957年に日本初の婦人相談員になり、いわゆる赤線時代から性に悩む女性たちの救済と更生に取り組んできた。関連の著作も多い。
政治家では、衆院議員を1期務めた後、22年10月から埼玉県草加市長の山川百合子がいる。