努力とヒマの
意外な関係

 この言葉に、説得力がまったくないことについては多くの方の賛同をいただけるのではないだろうか。なぜなら、「努力は大事」と言っておきながら、「でも報われないかもしれない」と手のひらを返し、「成功した人は」と別の条件を持ち出している。よって、「成功には興味がない」という人には、何も響かない。

「うちの社員には意欲がなくて……」とぼやく経営者や管理職も多いが、おそらくそういう人の頭のなかは、「欲がない」「意欲がない」「努力しない」ということがセットになっているのだろう。

 このズレの原因は明らかに、「努力」と「報酬」をセットで語っているところにある。要するに、「努力」というのは「報酬を得るための苦行」と考えている人が多いから、このズレが生じるのだ。「努力」と「報酬」がセットだとすれば、報酬に興味のない人を動かすことはできない。

「いい大学、いい会社に入るために勉強しろ」という言葉も一緒だ。いまの時代、「努力」は「報酬」を約束してはくれない。だから、最近では「努力なんて必要ないのでは?」「働かなくてもいいのでは?」という人が出てきているのだろう。

 したがって、「報酬」を努力の理由にすることはできない。というより、ほんとうは「努力する理由は報酬を受け取れるから」ではないのだ。

 では、なぜ努力するのか?答えは簡単だ。実は、努力する人は「努力しないと耐えられないから、そうしている」のだ。もちろん、努力はつらい。しかし、直感に反するかもしれないが、明らかに「努力をしているほうが楽」である。それは人間が「無為」「ヒマ」に耐えられないからだ。

 人生は常に不安である。何もすることがない、何もしていない、というのはその不安と正面から戦わないといけない。お金を持っていて、生活に何ひとつ不自由がないように見える人も、最終的には病の恐怖、死の恐怖と戦わなくてはいけない。

 何かに没頭することが、精神の安定にとって重要であることは、間違いない。行動することで、余計なことを考えなくても済むからだ。

 映画『マトリックス』にこのような一節がある。

 マトリックスは、君たち人類がつくったのだ。楽しくて、幸福な生活のためにな。だが人類とは不思議なものだな。不幸とか苦しみがないと、かえって不安になるらしい。

「努力すれば報われる」ではない、「努力することで初めて、人生が不安なく送れる」のである。