部長 私は皆に「社会人として望ましい考え方をしてほしい」とは思うが、強制はしない。強制したところで人の考え方は変わらないからな。せいぜい飲み屋での愚痴が増えるぐらいだろう。だから、たとえばその人が「成果だけ見てほしい」というなら、そうするよ。新人といえども大人だからな。大人としての扱いをする。
新人 全員を成果だけで見る、ということですか?
部長 一生懸命、社内営業することで評価されたい、という人もいるし、それを喜ぶ人もいるんだ。実際、先輩と仲良くすることで、仕事が円滑に進むこともある。だから、全員を一律の評価基準で見ることはできない。人にはいろいろな得意分野があるんだ。
新人 じゃあ、結局私はどうすれば評価されるんですか?
部長 いろいろな人が、いろいろな評価基準を持っている。できるだけ多くの人の評価基準にマッチする人が、評価されるだけだ。人事が示している評価基準なんて、ほんの一部さ。

 実際、すべての評価基準を明文化することは不可能だ。新人は、「人事が示す評価基準は、ほんの一部」と聞いてまた考え込んでしまった。

部長 まあ、私の評価基準には、「仲が良い」は入っていないからな。別に私と飲みに行く必要はないさ。
新人 社会人って、大変ですね。
部長 まあな。

 のちに、部長は、この新人から「飲みに行きませんか?」と誘われたらしい。

努力が報われる場面はすくないが
それでも人は努力せずにいられない

 子どものころから、「努力は報われる」という言葉を何回聞いたことだろうか。努力の大切さを語るときに使われる言葉だ。でも、ほんとうに世の人は皆そう思っているのだろうか?

 たぶん本音は「努力が報われることは少ない」ではないだろうか。

 子どもに勉強させたかったら、「努力すれば報われる」と言っておく。学生に勉強させたかったら、「努力すれば報われる」と言っておく。社会人に仕事をさせたかったら、「努力すれば報われる」と言っておく。

 でも、皆信じない。子どもですら信じない。なぜなら、「でも、報われない人もいるじゃないか」と言われてしまうからだ。実際に努力しても報われない人は大勢いる。というか、報われない人のほうが多いかもしれない。

 こう言われると、「努力派」の人はこう言うだろう。「努力は最低条件だ。努力しても報われないかもしれないが、成功した人は皆努力している」。