この面会の後に先輩から言われたのは、どうやら私はお眼鏡にかなったということです。「将来、大事な経営判断を任される立場になるだろうと考えて、いろいろと教えてくれたのだろう」ということでした。結局、私はその2年後に東大に呼び戻されて、工学の研究をしながら学生たちに知識を教えることになりました。実務から離れたので経営者になることはなかったものの、当時の教えはいろいろなところで役立っています。かなり強く影響を受けたようなので、失敗学にもそのエッセンスは含まれています。

 思い返してみると原さんの話には、老害としてよく言われるような尊大さや自慢、押しつけがましさなどが一切ありませんでした。それでいて自分でなにかを考えるときのヒントとして大いに役立つものを与えてくださいました。人生の先達の役割というのは、まさしくこういうものではないかと思えるものです。だから私も「自分はこんな老い方をしたい」と強く思ったのでしょう。

書影『老いの失敗学』(朝日新聞出版)『老いの失敗学』(朝日新聞出版)
畑村洋太郎 著

 その後もこのように思わせてくれる人に出会うことが何度かありました。ある大企業のトップを務めていた方もその一人です。やり取りを行うようになったのは失敗学を世に発信してからです。私の活動の趣旨をよく理解して、トップの立場からの見方など、外からはうかがい知れないことをいろいろ教えてくださいました。ときに問題の本質を考えるのに必要ということで、メモをしないこと、口外しないことを条件に、公開されることのない具体的な数字などを教えてくださることもありました。

 私はこういう約束事を絶対に守るので、信頼してくださる人から本音や秘密とされる情報を聞くことがよくありました。こういうときに先方が私に期待しているのは、それらを使って社会の大きな利益になる新たな知見や価値を生み出すことです。自分でもずっと意識してきたので、その役割はある程度果たせたのではないかと思います。一方で、形は異なるものの、リスクを背負ってこの活動を支えてくださった人たちのように、誰かが社会の利益になる新たな知見や価値を生み出す手伝いになることが自分でもできないかと強く意識するようになりました。