のと鉄道が復旧できた理由
周囲から次々と救いの手

 しかし中田社長が悩む間もなく、周囲は次々と救いの手を差し伸べようとしていた。3日には北陸運輸局の関係者から、「必ず助けます。できる限りの報告を」というメッセージが、震災後の不安定な電波状況を見越してショートメールで届いたという。

 状況が速やかに中央官庁に伝わったこともあり、到着に1~2カ月を要することも珍しくない鉄道災害調査隊(Rail Force)が9日に現地入りした。その後、19日に復旧工事が開始となり、国交省から職員が派遣され、法令の確認や調整が生じるたびにスムーズに立ち回ってくれたそうだ。

 のと鉄道の線路や設備を保有するJR西日本からは、漆原健・JR西日本金沢支社長がいち早く駆け付け、「まずは七尾線(JR路線)の復旧を優先する。復旧部隊は手が空き次第向かうので、待っていてほしい」と発言した。これは、のと鉄道の存廃への不安を吹き飛ばすメッセージで、関係者を大いに力づけたという。

 その言葉通り、通常なら数名体制でバラバラに配置される工事班が、最大で10班も現地入りした。路盤が沈下した場所をバラスト(線路を支える砕石)で突き固めた後、「さらに万全を!」との現場の声で、徹底的に安全面を追求した工事を行ってくれたそうだ。

 また、電波状況などの事情でメールチェックができなかった間に、全国各地の鉄道会社から数々のメッセージがメールボックスに届き、中にはボランティアを申し出る会社もあったという。もちろん、のと鉄道を普段遣いする利用者や、観光で訪れたというファンの応援メッセージも多く、早期の復旧を力強く後押しした。

 鉄道復旧には、資金や人手を引っ張るために関連省庁と交渉の矢面に立つ調整能力と、鉄道の必要性や需要を示す応援の声が必要不可欠だ。この取材を実施したのは、全線開通を翌週に控えた3月29日。中田社長がこなしてきた交渉の数々を物語るかのように、名刺ケースは今にもはち切れんばかりに膨らんでいた。

被災後の本社の様子被災後の本社の様子。建屋自体が危険と判定され現在も立ち入りが困難だ 写真提供:のと鉄道
破断が生じた線路穴水駅構内では、線路の破断が生じた 写真提供:のと鉄道
土砂流入があった箇所背後の山からの土砂流入があった箇所は、その後きれいに修復された Photo by W.M.