地域における移動の自由が
失われた本当の原因
ではどこがどう支離滅裂で事実誤認なのか?
まず、地域における移動の自由が失われつつある最大の理由は、少子高齢化ではなく、需給調整規制の緩和、つまりは無用の規制緩和によって、タクシーのみならずバスについても過剰な競争により路線を維持できなくなって休止や廃止、撤退、廃業となってしまったことである。
タクシーについては2002年の需給調整規制の事実上の廃止以降、一時的に台数等は増えたものの、それ以降は減少の一途を辿っていった。コロナ禍がそれに追い打ちをかけたことは確かだが、コロナ禍のみによってタクシーの台数や運転手が減ったわけではない。
それから、橋本政権での消費税の増税と財政構造改革の実施。後者については同政権および小渕政権で財政構造改革法の凍結が行われたが、その後の小泉政権では、公共事業費が大幅に減らされるとともに、三位一体の改革の名の下に、地方公共団体の重要な財源の一つである地方交付税交付金が減額されたこともその背景だ。
財源がなければ、地域の重要な足を支援することも困難であるし、地域住民の利便性を高めるためのインフラ整備も十分に出来ない。
これはもう少し後のデータであるが、総務省の行った調査によれば、東京在住者で移住を考える場合に重視する事項を尋ねたところ、交通等の利便性が上位に挙がっていた。移住を考えない東京在住者の多くがその理由として選択したのも、やはり交通等の利便性であった。
ここから言えることは、交通の不便なところには、一部の例外を除いて、生活の根拠を置くことを目的として移り住むことは忌避される傾向があるし、逆に交通の不便なところ、それは生活するのに不便なところということでもあるが、そうしたところに生活の根拠を置き続けることは困難になっていき、それが一つの大きな原因となって、地域の人口の社会減が起こるということである。その結果公共交通に対する需要も減って…という悪循環に陥ったわけである。
つまり、答申に記載された文章は、原因と結果が逆であるのみならず、その原因を作った真の原因には一言も触れられていない相当お粗末なものということである。地域崩壊の危機を回避したいのであれば、地方交付税交付金の大幅な増額、公共事業関係費等の投資的な歳出の拡大、そして、需給調整規制等の復活である。
しかも、ライドシェアを制限なく全国的に実施可能にすれば、さらなる無用な競争が持ち込まれて、せっかく増加傾向にあるタクシー運転手が賃金減等を理由として離職してしまうことにもなりかねないし、バス等の公共交通から客を奪うことで、かろうじて維持してきた地域公共交通ネットワークを破壊することにもなりかねない。
ライドシェアは、ダイナミックプライシングうんぬんの話をしているが、それが実際に適用可能なのは、需要の多い大都市であって、それ以外では導入は困難であろう。また、高い時間帯には乗らずに安い時間帯に客が集中すれば、結局移動の足が制限されることになるし、ライドシェアのドライバーは安い料金(=自分たちの賃金)に甘んじざるをえなくなる。給料の低下は地域経済の縮小につながり、地域の衰退にも拍車がかかるだろう。
つまり、ライドシェアの全国展開は百害あって一利なしなのである。
4月に導入された自家用自動車活用事業は、あくまでも既存のタクシー事業者による交通サービスを補完するものである。
タクシー会社の管理の下で自家用自動車活用事業に参加しているドライバーの中には、最終的に2種免許を取得して、正式にタクシー会社の社員となる人も出てくるであろうし、大いに期待される。そうなっていけば、タクシー不足はおのずと大幅に解消されていくかもしれない。
政府においては、本事業(制度)の本来の趣旨を忘れることなく、制度の上手な運用を図り、その目的が達成されるよう、期限を縛るような形で節足になることなく、良識ある検討を進めていただきたい。そして多くの国民の方々も、先に批判的に解説した、ライドシェア推進派が吹聴する「地域の移動の自由が失われつつある」ことをめぐる“うそ”には惑わされないようにしていただきたい。