長期化する日本経済の低迷で
東証1部全体の時価総額がGAFAM以下に

 農業労働者の数がどんどん減少し、工業労働力として重要な若い労働者が都会に出てきた。市部と郡部の人口比を見ると、1945年には27.8対72.2だったのが、1980年には76.2対23.8と逆転する。また、新規学卒就業者数をパーセンテージで見ると、1955年は中学60%、高校31.4%、大学が8.6%だったのが、1975年にはそれぞれ、6.1%、58.6%、35.4%と、高校・大学卒の比率が急上昇する。そのため、比較的高度な技術や知識をもつ労働者の比率が増えた。

 中卒の労働者のうち、農村部から都市へと集団就職した人たちがいた。彼らは、都市部で、優秀な労働者として雇用されることになった。

 日本経済は、1973年の第1次石油ショック、さらには1978~1979年の石油ショックも乗り越え、省資源型経済の実現に成功した。1971年のニクソンショック、とくに1985年のプラザ合意以降円高が進んだにもかかわらず、輸出を伸ばすことができ、経済は成長した。

 だが、1986年から1991年頃まで続いたバブル経済が崩壊すると、日本経済は停滞期に突入した。日本国内の資産価値、とくに土地の価格が異常に上昇したのが、一挙に低下したのである。

 しばしば、「失われた30年」といういい方がされる。バブル崩壊後の1990年代初頭から現在までの期間を指すことばである。この30年間は高度経済成長期や安定成長期のような成長が見られず、経済の低迷や景気の横ばいが続いているとされる。

 日経平均株価の1989年12月29日の終値は3万8915円87銭だったが、2019年12月30日の終値は2万3656円62銭であり、大きく低下している。東証1部の株式時価総額も1989年末は約590兆円だったが、2019年末は約648兆円となっているにすぎない。2020年にはGAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)5社合計の株式時価総額が、東証1部全体のそれを上回った。