レースが過酷になればなるほど、ファンのボルテージは高まり、トップでゴールした選手は英雄視された。ツール・ド・フランスはどんなスポーツにも負けない、地上で最も強い男を決めるレースとしてフランス国民の誇りとなった。味をしめた主催者が次にアルプス山脈越えを導入したのは言うまでもない。

 ピレネー山脈の峠のなかでも最高峰となるのが標高2115mのツールマレー峠(Col du Tourmalet)だ。周囲は針のように屹立した山岳が取り囲み、真夏でも天候が崩れれば降雪する。そんな過酷な条件が勝負どころとして定着し、大観衆が沿道を埋め尽くすようになった。ツールマレーはピレネーの重要な拠点にあり、ここを通過しないと次には進めない。アルプスを含めてツール・ド・フランスに毎年必ず登場するのは、このツールマレー峠しかないのである。

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ツール・ド・フランスの伝説回

 1913年にツール・ド・フランスの伝説となるエピソードがツールマレー峠で演じられた。この年のツール・ド・フランスは初めて時計と逆回りのルートを取り、アルプスの前にピレネーを体験した。第6ステージ、バイヨンヌからリュションまでの距離326kmという、現在では考えられないような長距離区間でその伝説は生まれた。舞台となったのがツールマレー峠。伝説を作ったのがフランスのウジェーヌ・クリストフ。前年の総合2位、そして自転車レースの歴史の中で初めて登場した山岳スペシャリストだ。

 この日、ツールマレー峠を2番手で通過したクリストフだが、下りで自転車の前輪を支えるフロントフォークを欠損。交換用のスペアバイクが用意されている時代ではない。クリストフは14kmの道のりをひたすら歩いて、サントマリー・ド・カンパンという小さな集落にたどり着いた。