今から30年前となる1989年12月29日。年内最後の取引日「大納会」で、日経平均株価は一時3万8957円44銭、終値3万8915円87銭という史上最高値を付けた。
その後、日経平均は最高値を一度も更新することなく、日本経済は長い停滞の期間を経て、現在に至る。バブルの絶頂から30年後の世界に暮らすわれわれは、その経緯を全て知っているが、当時、トンネルの出口がそんなに先であることを予見できた人物はどれだけいるだろうか。
「週刊ダイヤモンド」90年4月21日号に「逆資産効果──バブル破裂のあと」という特集があった。円高、株高、土地高が資産効果を呼び、消費を刺激して好景気を持続させてきた日本だが、果たして「トリプル安」に進むのか、その期間はどのくらいになるのか──当時の第一線で活躍するエコノミスト11人が登場し、予測している。
11人中、トリプル安が日本経済に与える影響はどれほどかとの問いに、「それほど大きくない」としたのが4人、「ない」が1人、「若干」が1人だった。対して「大きい」が2人、「かなり大きい」と答えたのは3人で、楽観論と悲観論が伯仲していたことが分かる。楽観論の中には、人手不足、インフレ圧力、需給逼迫といった強過ぎる景気基調にとって、むしろ“冷却効果”になるという論調すらあった。
さて、今回の記事は、そんなバブル崩壊後の93年時点で、経営学者のピーター・F・ドラッカー(1909年11月19日~2005年11月11日)が、日本経済の先行きをどうみていたかがよく分かるインタビューだ。
「不況という言葉は不適切」とドラッカーは語っている。「不況に陥っているというよりは変革期というか、節目の時期に突入しているのではないか」と指摘しつつ、この状況が続くのは「10年から20年くらいではないでしょうか」と予測する。
株価は90年から急落し、地価下落が本格的に始まったのは91年である。しかし、93年時点でそこまで悲観的な指摘ができた人物はそういなかったのではないだろうか。なにしろ、バブルの象徴のように語られる「ジュリアナ東京」では、まだこの時期、ボディコン女性が羽根付き扇子を振り回して踊っているのだ(同店の営業期間は91年5月15日~94年8月31日)。これから日本を襲う危機の深さに、ほとんどの人は気づいていなかった。
日本列島が悲しみに覆われた阪神淡路大震災も起きていないし、地下鉄サリン事件も翌94年のことだ。そして95年になって戦後初めて銀行が経営破綻し(兵庫銀行)、97年から98年にかけ、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券、三洋証券など大手金融機関が倒産する事態が続いた。この頃になって初めて、90年代の総括として「失われた10年」という言葉が“過去形”で使われ始めた。
そう考えると、93年時点のドラッカーの慧眼には驚嘆するしかない。しかもインタビューでは、コンピューターに慣れ親しんだ12歳の孫の話を例に引き、「こうした世代が、いわゆる伝統的企業の枠組みにしっくり収まるか、私は疑問です」と、デジタルネイティブ世代の登場と、彼らがけん引していく「ナレッジ(知識)」を軸とした新しい社会への移行の話題にも触れている。「未来学者」とも呼ばれたドラッカーの真骨頂といえる記事である。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
歴史上前例のない状況
10年から20年は続く
──今日本は深刻な不況といわれているんですけれども、先生はどんなふうに認識されてますか。
昨夜中華レストランで食事をしたんですが、非常に値段が高い。ところが不景気の割には人がたくさん来ていて、この高価な中華料理を食べているんですよ(笑)。日本のこの不景気は、とても変な不景気じゃないんでしょうか。
このように発展した先進国が、これだけの不況に陥るというのは、歴史上初めてではないかと思います。今まで例がないという意味でも、大変奇妙な不景気ですね。ただ日本の場合、不況に陥っているというよりは変革期というか、節目の時期に突入しているのではないかと思います。