「すべての科学研究は真実である」と考えるのは、あまりに無邪気だ――。
科学の「再現性の危機」をご存じだろうか。心理学、医学、経済学など幅広いジャンルで、過去の研究の再現に失敗する事例が多数報告されているのだ。
鉄壁の事実を報告したはずの「科学」が、一体なぜミスを犯すのか?
そんな科学の不正・怠慢・バイアス・誇張が生じるしくみを多数の実例とともに解説しているのが、話題の新刊『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』だ。
単なる科学批判ではなく、「科学の原則に沿って軌道修正する」ことを提唱する本書。
今回は、本書のメインテーマである「再現性の危機」の実態に関する本書の記述の一部を、抜粋・編集して紹介する。

【「ベイズ統計」の謎】統計好きでも意外と説明できない「ベイズ統計」の1つの特徴Photo: Adobe Stock

ベイズ統計学が考慮する「情報」の正体

 統計的な有意性にこだわりすぎると、見えなくなるものもある。恣意的ではあるが客観的な指標を科学者に提供することは、科学者の手を縛ることになる。p値を放棄しても、必ずしも問題が改善されるわけではない。むしろ、別の主観的な要素を導入することで、状況をより悪化させるかもしれない。ジョン・ヨアニディスは皮肉を込めて、p値のような客観的な尺度をすべて取り除けば、「あらゆる科学が栄養疫学のようになる」状況を招くだろうと言った。実に恐ろしい予想だ。

 同じような批判は、p値に代わる主要な手段とされるベイズ統計にも向けられる。これは18世紀の統計学者トーマス・ベイズが提唱した確率の定理にもとづく統計学で、研究者が新しい発見の重要性を評価する際に、過去の証拠の強さ、つまり「事前」の情報を考慮に入れる手法である。

ベイズ統計学の「事前」は本質的には「主観」

 たとえば、秋にロンドンは雨が降るだろうという天気予報を聞いたら、すぐに納得するだろう。一方で、7月にサハラ砂漠で吹雪になるだろうと言われても、砂漠の灼熱の夏を経験したことがある人は嫌でも懐疑的になる。ベイズ統計学では、最初に計算をする際に、既にわかっている証拠をすべて取り入れることができる。7月にサハラ砂漠で吹雪になるという予報は、気象学の従来の知識をすべて覆せるほど説得力のあるものでなければならない。p値はほとんどの場合、「事前」の証拠と関係なく計算される。それに対し、ベイズ統計学の「事前」は、本質的に主観である。サハラ砂漠が暑くて乾燥していることには誰もが同意するが、ある薬が鬱の症状を軽減することや、ある政策が経済成長を促進することを、「研究を始める前に」どこまで強く信じるかは大いに議論の余地がある。

 ベイズ統計には、事前の証拠を考慮すること以外にもp値との違いがある。たとえば、ベイズ統計はサンプルサイズの影響をあまり受けない。ベイズ統計学のアプローチは、特定の条件の効果を検出することが目的ではなく、仮説を裏づける証拠と否定する証拠を比較することが目的であるため、統計的検定力は要因ではない。この点は通常の統計学の考え方に近いと言えるだろう。ベイズ派は、「これらの観測結果から、私の仮説が正しい確率はどれくらいか」と考える。これは、「私の仮説が正しくないと仮定して、これらの観測結果が得られる確率はどれくらいか」と問うp値のアプローチより直感的だ。

(本稿は、『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』の一部を抜粋・編集したものです)