誰にでも「曲」を変える自由がある
リスナーだけでなく、時にはDJになれ
ダース ですので、もし今の資本主義をイマイチと思っているのであれば、ターンテーブルのモデル、もしくは、再生プレーヤーごと変えて新しい土台をつくってしまおうという発想だってできるわけです。
相当難しいことではあるけれど、不可能ではない。そうした革命は歴史の中でこれまで何度も起こっていますからね。変えられるという選択肢を自分たちは持っている。その自覚を持つことこそが大事なんだと思います。
田中 レコードをひっくり返したい、そうした衝動はありますか?
ダース もちろんありますよ。ずっと同じ曲を聴かされ続けることに慣れてしまうのではなく、曲を変えられないことに絶望するのではなく、「そろそろB面に変えないか?」と多くの人が思えば、本来は変えられるはずなんです。
民主主義というのは、話し合いで決めていく社会制度であり、よく「熟議」だといわれています。「そろそろ曲を変えようよ」「まだこの曲でいいよ」「B面にもいい曲が入っているから一回聴いてみようよ」「曲を変える前にこの部分をちゃんと聴いてみてよ」といった話をみんなでする。
言葉はただの「箱」
コミュニケーションに大切なのはその中身
田中 国会や政治だけが、その熟議の場だと思われがちですが、必ずしもそうではありませんね。
ダース 民主社会は、社会に所属している人、全員でつくっていくものですからね。「政治家や官僚に社会をつくってもらう」という発想では、ただのリスナーになってしまう。
「選挙権はあるけれど、使わずにすべてお任せします」という態度を取り続けた結果、あまりいい曲が流れていない。それなら自分たちがDJとして曲を変えればいい。
田中 1人で変えることは難しいけれど、「1人1人がそうした選択肢を持っている」ことを知る。それが大事なんですね。
日々の生活の中で、1人1人がDJであるということを意識することで、社会を変えていくことが可能になる。
ダース 結局、それは人と人との話し合いです。話し合いには「言葉」を使います。
田中 この著書の中で、「箱としての言葉」という表現が出てきますね。私はこの言葉にとても惹かれたんです。
ダース 言葉という「箱」をただ並べるのではなく、お互いに中身を想像しながら、熟議をする。それによっていろいろなことが解決していくし、社会も変わっていくはずです。
ラップというのは、言葉の「箱」を並べていきます。ラップの達人がバーっと言葉を並べていくとき、間を置いてゆっくりラップしたり、逆に畳みかけるようにラップしたりと、さまざまな変化をつけて、この「言葉の箱」を並べていくんです。
ただ、その箱の中に実際に何が入っているかは、わかりません。文字に書き起こしただけでは意味がわからないものも多い。でも聞いていると、「こういうことを言っているのだろうな」と伝わってくる。
田中 箱の外のもの、例えば、その背景にある情報や、入れてもよかったけれどあえて入れなかったものなど、さまざまなニュアンスが聞く人に伝わることで、「こういうことを言っているのだろうな」ということがわかってくる。
ダース どういうリズムで、どういう順番でこの箱を並べるかというときに重要なのが、「ライム」、つまり「韻を踏む」ことです。アメリカのラッパーが「ライミング」と言うときは、それは「ラップする」という意味と基本的には同じです。それぐらい、ラップにおいて韻を踏むことは大事なんですね。
韻を踏む、つまり、形として音をそろえることを、「箱の形」が同じと僕は考えています。箱の形が同じであれば、並べやすいし、積み重ねやすい。ラップというのは、言葉という箱を積んでいくことで立体的になっていきます。
でもその箱の中に実際に何が入っているかは、わかりません。例えば、「楽しい」と書かれた箱の中には、楽しさにまつわるいろいろな気持ちや事柄が入っていると考えられるけれど、すごくネガティブな感情のまま「楽しい」と言っても、その箱にはあまり楽しそうなものは入っていない。
田中 箱は同じでも、その中身は、話者や文脈、環境に依存するので、全然違うものになることもある。
ダース そうです。政治家が「真摯(しんし)に向き合う」「謙虚に受け止める」と言ったとき、箱の中に真摯な気持ちや謙虚さが入っているとは限らない。
「箱の形」とともにコミュニケーションにおいて重要なのは、「箱の使い方」です。箱をどう使うかが大事で、箱を置けばその意味になるというシンプルな話ではありません。
「あの人がこの箱をここに置いたなら、多分、こういう中身が入っているんだろうな」「この箱とこの箱がこの順番で並んでいるのは、こういうことを言っているのかな」といった、箱の中身を類推しながら、お互いの距離を測ったり、詰めたりすることが、ラップの楽しさであり、それはそのままコミュニケーションの楽しさでもあったりするわけです。
ラップというのは、箱の並べ方次第で意味を変えることができたり、まったく異なる意味同士でも箱の形が一緒だから並べる、つまり、韻を踏むとおもしろくなったりする。
「この箱にこんなものが入っていた」「箱を開けてみてびっくり」という遊びが、ラップではとても大事なんです。固有名詞の中に意外な意味を見いだしたり、ダブルミーニングのように、1つの箱の中にお互いまったく関係のない複数の意味が入っていたりすることもある。
アメリカのスラング(俗語)で「Bad means Good」というのがあります。例えば、マイケル・ジャクソンの有名な曲の1つに「BAD」という曲がありますが、その中で「I’m bad」と言っている。これは「オレは調子が悪い」という意味ではなく、「めちゃくちゃかっこいいだろ」という意味です。「The baddest in the town」は、「街で一番イケてる」という意味です。それは、箱のラベルと中身を逆転させているんですね。
田中 うんうん、まさに。
ダース 「Cool」とか「Hot」とかもそうですよね。通常の状態ではないということを伝えたいわけで、温度の話をしているわけではない(笑)。それは言葉の自由さでもあるわけです。
一方、そこから「この箱に貼られているラベルを信用するな」という忠告もできる。コミュニケーションにおいて非常にまずいと思うのは、発信者も受信者も、中身を確認せずに、箱を置いただけで、コミュニケーションした気になってしまっている。
わかりやすいのは詐欺師です。詐欺師は、中身のない箱を扱うことに長けていて、見た目は立派だったり、のし紙をつけたり、ラッピングされたりしたキラキラした箱を大量に並べて、「さあどうぞ!」とプレゼンする。受け手側は、箱を開けて中身を見れば空っぽだとわかるのだけれど、それをせずに箱を受け取ってしまう。
田中 それはわかりやすい喩(たと)えですね(笑)。
ダース 詐欺師の人たちはある意味、言葉の特性をよく理解している。非常に参考になるといっては語弊がありますが、詐欺師の言葉巧みな箱の使い方から、言葉というのはその中身がいかに大事かということが逆説的に見えてくる。政治家や官僚の答弁でも、余計な詮索をされないように、ただの箱だけを並べていますね。