日本人は「英語の発音」が
苦手なのではない?

ダースさん縦

ダース ですから僕は、小学生に、ラップをすることを勧めているんです。

 言葉というのは、RPG(ロールプレイングゲーム)でいえばアイテムです。「ラップがうまくなりたい」「この言葉と合う言葉はないだろうか」「この言葉とあの言葉をつなげてみたい」というモチベーションを原動力に、子どもたちは言葉というアイテムを獲得していく。

 教科書に出てくる単語を暗記するよりも、よっぽど動機づけがされています。箱と中身の組み合わせを楽しみながら言語を習得することができる。

 だから僕は、ラップの構造というのは、子どもたちの言語学習に最適だと思っています。リズムに乗せて言葉を発する、フィジカルな楽しさもありますよね。意味も大事ですが、言葉を音に乗せて自分でポンポンと並べてみることの、フィジカルな気持ち良さもある。

田中 「言葉とフィジカル」で思い出したのですが、和歌を「歌」としてではなく、「文章」として学校で教えてしまうことの残念さについて、2021年に出された著書『武器としてのヒップホップ』(幻冬舎)で触れていらっしゃいましたね。

ダース 学校の古文や漢文の授業で、和歌や漢詩を学ぶとき、「読み物」として読まされますが、名歌というのは、良い節(ふし)の歌や詩であるはずです。

 当時の人たちは、和歌や漢詩を、オーディオ(音声)として口に出して歌っていたと思います。あるいは、ギリシャ時代の詩人や中世ヨーロッパの吟遊詩人も、発声して詩を吟じていたでしょう。どういうイントネーションで、どういうメロディーで、どういう強さで言葉を発するか。それによって、言葉の印象はまったく変わってきますからね。

田中 リズムが雰囲気をつくっていくということもありますよね。「英語の発音が苦手」という日本人は多いですが、実際に英語で話してもらうと、発音ではなく、リズムの問題だったりするんです。

 つまり、アクセントの位置を間違えていて、リズムに乗れていないから、英語を話せないし、聞こえないし、相手に通じない。このことは、歌や音でリズムを感じながら言葉に触れるよりも、文学や文章として言葉を学ぶことを重視してきた、教育の弊害なのかもしれないと、最近、気づいたんです。

文明化の途上で
言葉からリズムが失われた

ダース 歌や会話には、グルーヴやリズムがあって、発声や滑舌の良しあしなどの能力差が出てしまう。一方、読み言葉や書き言葉というのは、グルーヴやリズムがなくても、みんながほぼ同じプラットフォームに乗って、同じようにプレゼンできる。文学や文章というのは、普遍的で万人向けであり、誰でもアクセスできるツールではあるんですよね。

 ただ、人が経験する順番としては、明らかに発声が先なはずです。先日、NHKで「ヒトはなぜ歌うのか」という番組が放映されていました。この番組に知り合いがリサーチャーとして参加していて、カメルーンの森に住む部族の取材をしたんですね。彼らは生活におけるさまざまな行動の中で、よく歌うんです。洗濯しているときも歌いますし、皆で集まって作業をしているときに誰かが歌い始めると、ピタッと作業を止めてほかの人たちも即興で歌い出す。そして歌い終わると再び作業に戻る。

田中 へえ〜!

ダース 人類が昔、森や草原で狩猟・採集をして暮らしていたときは、歌を歌ったり、音を出したりして、自分の居場所や獲物の位置を知らせていました。その部族は、それを今も継承しているのだと思います。

 人は、土地に定住して社会生活を営むようになると、ルールをつくり、そして財産を持つようになった。それを記録し、伝えるために文字が使われるようになった。文明化というのは、物事を社会で共有できるよう、明文化が進む過程でもあったんですね。ただ、文字が発達する代わりに、グルーヴとリズムは失われていきました。それがなくても社会生活を営めるようになった。

 でも、言葉を話すという機能は今も人間に残っている。ということは、本質的には人は、言葉を話すことで理解する生き物なんです。それで伝わるのが一番早い。でも、伝えたり、情報を共有したりすることが難しい場合、文字で補っていた。

 でもいつの間にかその順番が逆になってしまった。日本の教育でいえば、文字の学習を優先してきた。本質的な言葉のコミュニケーション、つまり、「間」や呼吸、しぐさ、表情や目の視線といった、言葉に付随する情報をすべてカットした状態で、言葉を学んできたんです。

慶子さん横

田中 言葉の本質から、ある意味、離れてしまっている。だから、英語の学習にも苦戦する。

 通訳者というのは、会話自体には参加していませんが、双方を傍観していると、会話の当事者同士が、意外と相手が話している部分を聞いていない、注意を向けていない、そういう場面に遭遇したりすることが多いんです。

 なぜこれを伝えようとしているのかといった「箱の中身」を知ろうとせず、箱の形やラベルだけを見ている。いや、箱すら見ていないこともあります。

 ある言葉を聞いて違和感を覚えたとき、箱の形やラベルだけにとらわれて「この言葉はこういう意味だ」と思い込まず、この違和感は何だろう、自分が知っている意味や印象と違うのはなぜだろう、と考えることで、言葉の持つ深みに触れることができる。そうした観点でも、ラップというのはとても奥が深くておもしろいですよね。

ダース ヒップホップの人は、新しい言葉にもすぐ反応しますし、流行ものをどんどん取り入れるので、その時期にどういう言葉や商品が流行っていたのかが、ラップには反映されます。

 例えば1960年代のラップでは公民権運動の空気が感じられるとか、ラップに限らずとも言葉というのは、そういうさまざまな情報や感情をパッケージにして引っ張ってくる力があるし、時代が変われば、言葉にひもづいてくるものも変わってくるものです。

田中 本日は、箱の中身がぎゅっと詰まった、すてきなお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

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