小林一三・阪急東宝グループ創業者
 今回紹介するのは、1952年5月15日発行の週刊ダイヤモンド臨時増刊に掲載された小林一三(1873年1月3日~1957年1月25日)と、ダイヤモンド社創業者、石山賢吉の対談だ。

 同号は『日本の告白』と題し、通常の経済雑誌の枠を超えた興味深い記事を掲載している。その筆頭は「東条英機の遺言状」だ。太平洋戦争開戦時の首相であり、48年12月23日にA級戦犯として絞首刑に処された東条の、死刑の十数分前に手錠をかけられたまま自署したという絶筆の署名まで掲載されている。発刊の辞には「本誌は、この一文だけで発刊の価値十分と信ずる」と記されている。

 一方、小林の対談記事に付けられたタイトルは「独立はしたけれど」である。同号が発行された52年5月というのは、サンフランシスコ平和条約の発効(同年4月28日)直後である。連合国による占領状態が終わり、日本が独立を回復したタイミングだった。戦中の近衛文麿内閣で商工大臣を務めていた小林も、戦後、公職から追放されていたが、51年に復帰が許され、東宝の社長に再就任していたところだ。

 長い記事なので2回に分けて紹介するが、前半の話題はもっぱら電力会社の経営について、である。阪急電鉄、阪急百貨店、宝塚歌劇団、東宝などを中心とする阪急東宝グループ(現阪急阪神東宝グループ)の創業者として知られる小林だが、渋沢栄一や大倉喜八郎が設立した日本初の電力会社、東京電燈の経営に27年から携わり、後に社長として同社の再建にも取り組んだ。そのため小林は、鉄道やエンターテインメントだけでなく、電力事業にも一家言ある。しかも、連合国による占領体制が解け、独力で日本が戦後復興の道を歩むために電力事業はどうあるべきか、小林にとっても大きな関心事だったことがうかがえる。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

こんな電気会社に誰がした
国策会社案は間違っている

小林一三・阪急東宝創業者が戦後の“独立回復”を機に語った日本再興論(前)1952年5月15日「週刊ダイヤモンド」臨時増刊より

石山 今の電気会社は全く悪いサービスですね。人間は多いし、しかも赤の巣窟になっている。そんなところに大切な電源開発をやらして、果たしてうまく実行できるかどうか。私は根本的に考え直さなければならぬと思う。

小林 僕は僕なりの意見があるが、今まで遠慮していた。しかしこれからは大いに言うつもりだ。

 今の電気会社はお説の通りだが、およそ事業というものは、基本そのものを良くしなくてはダメだ。事業の基礎が固まり、成績が良くなれば、社債も発行できるし、外資もどんどん入ってくる。それをそのまま悪い状態にしておいて、どうして新資金ができるか。

 新規の電力開発は、全部政府の力でやろう、国策会社をつくる、という案が出ているがこれは根本的に間違っている。

 まず第一に、今の電力会社を一番いい会社にすることだ。これを今までに誰がやったか非難攻撃する者はあっても、良くしようと実行した者がない。

 電気ほど国民生活に密接に結び付いている事業はない。その電力会社を三流、四流の会社に放っておいて、いいものだろうか。この責任は誰にあるのか。