戦後、国民皆保険、国民皆年金と社会保険の制度は拡充された。第1次石油ショックまでは給付が引き上げられたが、その後は負担が増えていくばかりだ。高齢化のさらなる進展で負担は増えこそすれ減ることはなさそうだ。特集『総予測2025』の本稿では、戦後80年の社会保障制度の歴史と共に、その近未来を見る。(ダイヤモンド編集部 竹田孝洋)
高度成長期には
給付拡充が続いた
日本の戦後の社会保障制度の歴史をざっと振り返ろう。
高度経済成長期が続いた第1次石油ショックまで、制度の拡充、給付水準の底上げが右肩上がりで進められていった。まず1961年、国民健康保険制度創設を市町村に義務付けることで国民皆保険、国民年金制度を設けることで国民皆年金が実現する。
医療保険では68年の国民健康保険の負担割合の5割から3割への引き下げ、73年の健康保険の家族の負担割合の同じく5割から3割への引き下げ、同年の老人医療費無償化と、負担が引き下げられた。
厚生年金では、65年に1万円年金、69年に2万円年金、73年に5万円年金が実現する。前述の医療保険、年金と併せて拡充が相次いだ73年は“福祉元年”と呼ばれた。
高度経済成長が続いたことで所得が増え、保険料収入も税収も上向いた。その上、下のグラフに見るように、70年時点で65歳以上の人口比率は7.1%、75歳以上の人口比率はわずか2.1%だ。社会保障給付費の対GDP(国内総生産)比率も4.7%と、現在よりはるかに低い水準だった。
この右肩上がりの制度拡充に急ブレーキをかけたのが、73年に勃発した第4次中東戦争を契機とする第1次石油ショックだ。これを境に、日本の社会保障制度改革の方向性が大きく変わることになる。
次ページでは、石油ショックを期にした社会保障制度の大転換を検証する。