教育内容と指導法だけ変えても
教育効果は得られない

 話を元に戻そう。1970年代以降、同和教育の中心課題は部落問題学習を通じた人権意識の形成と子どもたちの学力保障および進路保障に移行した。学力保障に関わっては、独自に学習教材を開発したり学習指導の方法を工夫したりするなど、教育課程の「自主編成」が取り組まれた。進路保障に関わっては、身元調査に反対し公正な採用選考を求める運動や、進学希望者の増加に応じて高校増設を求める運動が取り組まれた。

 その頃から学力保障に力を入れてきた小・中学校の中には、家庭背景による学力格差を小さく抑える「効果のある学校」として注目されている学校もある。また、当時新設された高校の中には、日本語指導が必要な生徒のために特別の入試を実施したり、知的障害のある生徒の教育コースを設けたり、不登校などで学習が十分にできなかった生徒の「学び直し」に力を入れるなど、ユニークな学校づくりをしているところがある。

 大阪の人権・同和教育は、保護者や地域住民と連携し、行政に要求を突きつけたり行政内部に理解者を増やしたりしながら、教育運動として取り組まれてきた。教育を受ける権利を本当に保障するためには、教育の内容と方法の改善だけでなく、教育条件の整備や制度の改革も必要だからである。

 社会福祉論や社会運動論では、社会的弱者やマイノリティの権利擁護のために世論に訴えかけたり政策を提言したりすることをアドボカシー(advocacy)という。今風にいえば、大阪の人権・同和教育の運動は、教育実践とアドボカシーの活動とを結びつけたのだ。その遺産は今に受け継がれている。

不利な状況の子どもを
特別扱いするのは「ひいき」?

 同和教育は様々な人権課題の解決を目指す教育に直接・間接の影響を与えてきた。その歩みは同和教育という「ルーツ」から在日外国人教育や障害児教育への「展開」としてとらえることができる。展開の過程で、不利な環境のもとに置かれたり、特別なニーズを持ったりしている子どもを「特別扱い」して実質的平等を目指す「公正」の理念が大阪の教育界に根づいていった。