ウチの子は障害があるけど
地元の学校に通わせたい

 大阪の教育現場には「原学級保障」という考え方がある。障害の有無に関係なく、すべての子どもたちが地元の学校に通い、通常学級(元来所属すべき学級という意味でこれを「原学級」と呼んだ)で学ぶ権利を保障するという考え方である。

 1970年代、重い障害のために就学を猶予・免除されたり、教育委員会から養護学校への就学を指導されたりした子どもとその親が、地元の公立校への就学を求める運動を起こした。原学級保障の教育実践は、この当事者運動と連帯した教師から生まれた。それは障害者が健常者中心の学校や社会に適応するための教育ではない。障害の有無で分け隔てられることのない学校や社会をつくる教育である。障害児教育は、近年は「インクルーシブ教育」と呼ばれることが多い。「インクルーシブ」とは「包摂的」という意味だが、大阪ではこの言葉が広まるずっと前から、インクルーシブな学校づくりが実践されてきた。

障害の有無に関係なく
「共に生き、共に育つ」権利

 今でも大阪では、特別支援学級(障害があるため特別な支援が必要だとされる子どもが在籍する学級のこと。かつては「特殊学級」や「養護学級」と呼ばれていた)在籍者も普段は通常学級で過ごすのが一般的である。ただ、このやり方は文科省の方針には合わなかったようで、2022年4月、文科省は「一部の自治体」で特別支援学級が不適切に運用されていると指摘し、特別支援学級在籍者は週の授業の半分以上を特別支援学級で受けるようにとの通知を出した。

 一方、その年の8月、国連の障害者権利委員会は、日本の特別支援教育政策は障害による隔離を進めているとして、政府に政策の見直しを勧告した。障害の有無に関係なく「共に生き、共に育つ」ことを目指すのは国際的趨勢である。大阪はそれを先取りしていたのである。

 人権・同和教育は「皆を同じに扱う」という形式的平等論を超えて、公正の観点から、教育の内容と方法、それらを支える制度を変えてきた。さらにその先に、多様なバックグラウンドを持つ人たちがつながる共生の社会を展望してきた。それは「既存の学校文化の枠組みを超えて、その変容を導くような破壊力をもつ」ものであり、マイノリティの子どもだけではなく、すべての子どもに大きな意味をもつものだった。