人口は、制限されなければ等比数列的に増大する。しかし、食料や土地などの資源は等差数列的にしか増大しない。資源の供給が追い付かなくなると、貧困や疫病、飢餓、戦争などにより人口は減少に向かう──古典派経済学者ロバート・マルサスは『人口論』の中でこう主張している。俗に言う「マルサスの罠」だ。
しかし、この罠から抜け出した国がある。ほかでもない、日本である。
ロンドン大学の人口学者ポール・モーランド氏は著書『人口で語る世界史』の中で、「日本人は非ヨーロッパ人で初めてマルサスの罠を逃れた国民となった」と指摘している。フィレンツェ大学名誉教授で、人口史の権威と呼ばれるマッシモ・リビーバッチ氏はその要因として、江戸時代に新田や新たな農業技術が開発されたことで持続的な人口増加が起こったことを挙げている。
明治維新を経て近代国家へと変貌した日本は、工業化の進展とともに人口増加の加速度を増していった。都市化による生活の変化は出生率の上昇を緩和させる一方で、死亡率の急速な低下をもたらし、人口は急増していくことになる。
第2次世界大戦で日本は300万人に及ぶ犠牲を生み、産業は破壊されたものの、当時の人口は世界的に見て最大級だった。戦後、空前のベビーブームが到来し、1947年の合計特殊出生率はおよそ4・5となり、欧米諸国よりも高くなった。
しかし、合計特殊出生率はその直後に急落し、日本は人口減少社会の入り口に立つ。1960年代からおよそ10年間はわずかながら上昇したものの、それ以降現在に至るまで出生率は低下の一途をたどり、2023年の合計特殊出生率は1・3と、極めて低い水準に落ち込んだ。
その原因は何か。前出のモーランド氏は同書の中で、はっきりしたことは言えないがと前置きしつつ、女性の社会進出に伴う共働きが定着した際に、欧米と違って女性が仕事と出産・育児を両立させる社会の制度設計が日本ではできていなかったことを理由の一つに挙げている。その結果、21世紀まで増え続けた日本の人口は、2012年をピークに減少へと転化し、さらに医療技術の発達などによる高齢化の進展もあいまって、人手不足という事態を招く。失われた30年と呼ばれる経済の停滞は、人口減少と不可分の関係にあるといっていい。
不可逆的に進行する人口減少に向き合いながら、日本経済を回復させる処方箋はあるのか。一つはDXによる生産性の向上で人手不足を補う方法が考えられるだろう。しかし、それだけで未曾有の危機から免れることは難しい。では、どうすればいいのか。
むしろ、人口減少社会を肯定的にとらえ、成長を第一目的としない経済のあり方を説く研究者がいる。京都大学人と社会の未来研究院教授の広井良典氏は、人口減少に希望を見出し、拡大成長による成功体験を捨て、持続可能な社会と経済を実現させる「定常型社会」を提唱している。
定常型社会の概念はけっして新しいものではなく、19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは『経済学原理』の中で、経済はやがて「定常状態」に達し、人間はむしろ真の幸せや豊かさを得ることになると述べている。現代に適した定常型社会は日本にどんな未来をもたらすのか。広井氏にその要諦を聞く。
「人口減少社会は希望である」発言の真意と
求められる発想の転換
編集部(以下青文字):先生は2013年の著書『人口減少社会という希望』の中で、「人口減少社会は日本にとってさまざまなプラスの恩恵をもたらしうるものであり、私たちの対応によっては、むしろ現在よりもはるかに大きな『豊かさ』や幸福が実現されていく社会である」と述べています。これだけ人口減少の弊害が叫ばれている中で、「人口減少社会は希望である」と断言するのは、逆張りの意見にも聞こえますが。
広井良典
YOSHINORI HIROI専攻は公共政策、科学哲学。環境・福祉・経済が調和した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱。社会保障、医療、環境、都市・地域等に関する政策研究から、ケア、死生観、時間、コミュニティなどの主題をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。著書『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、2009年)で大佛次郎論壇賞受賞。『日本の社会保障』(岩波新書、1999年)でエコノミスト賞、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社、2019年)で不動産協会賞受賞。ほかに『ケアを問いなおす』『商店街の復権』(ともにちくま新書、1997年、2024年)、『ポスト資本主義』(岩波新書、2015年)、『無と意識の人類史』『科学と資本主義の未来』(ともに東洋経済新報社、2021年、2023年)など著書多数。
広井(以下略):人口減少そのものを肯定しているのではなく、個人が自分の人生をもっと自由にデザインできるような生き方を実現するには、人口減少社会は転換のチャンスだ、という意味で「希望」と表現しています。
なぜ、日本経済が「失われた30年」といわれるほど停滞が長く続いたのかを考えると、終身雇用を含む男性中心に設計された昭和型モデルから抜け出せなかったことが根本にあったからです。昭和型モデルは、1970年代や80年代の工業化社会においては経済成長の手段として成功していました。この間、多様性への関心もほとんどなく、とにかく集団で一つの道を進むことが評価されたわけですが、情報化社会や成熟社会に入ってくると逆にさまざまな矛盾が表面化してきました。女性の社会進出が進み、共働きが一般化したにもかかわらず、男性中心の昭和型モデルが仕事と子育ての両立を阻み、少子化の流れを加速化してしまったのです。
出生率を急に引き上げることは現実的に難しく、たとえ上がったとしても団塊世代の高齢化に伴う死亡数の増加を考えると、人口減少そのものが当分続くのは不可避です。
気候変動の対応には、温室効果ガスの排出の抑制などで地球温暖化の防止を図る「緩和策」と、当面進んでいく気候変動に対してその影響を軽減させる「適応策」があります。それと同様に少子化問題も、人口減少による負の影響を少しでも減らす緩和策と、進んでいく人口減少に適応した社会や地域をつくっていく適応策の両方が必要です。『人口減少社会という希望』で述べた「人生前半の社会保障」といった若者支援は人口減少の緩和策そのものであり、こうした新しい発想で対応することが重要です。