資本主義社会の概念を
アップデートさせる

 企業は従来の成長神話の枠組みの中で、利益を上げ続けることを求められているという現実があります。これまでの資本主義社会において、資本は上へ蓄積されるというシステムや企業活動の常識を、今後はアップデートしていく必要があるのでしょうか。

 モノをつくれば売れる時代が終わったというのに、需給ギャップがいまだに「需要不足」と表現されるのが不思議でなりません。なぜ「供給過剰」と言わないのか。こうしたシビアな現実を踏まえたうえで、サステナビリティという言葉をとらえ直さなければなりません。

 規模の拡大を追求したとしても環境の有限性を考えると限りがあり、その中でどう持続させていくかがカギとなります。企業も、限りない拡大を目指すよりも、循環や持続可能性にどう軸足を移していくかが求められています。単純に言えば、「会社を限りなく大きくする」ことよりも「会社を長く続かせること」が重要になっているのです。

 これに関連して挙げたいのは、「相互扶助経済」という概念です。シカゴ大学教授だったテツオ・ナジタの著書『相互扶助の経済』では、江戸時代の「講」や二宮尊徳の思想などが例に挙げられ、利潤極大化とは異なる相互扶助の経済の伝統が日本社会に根付いていると論じ、それをもう一度見直していくことが日本でプラスの可能性を引き出すのではないかと指摘しています。

 こうした循環や持続可能性、相互扶助を重視した経営は、日本の伝統的な経済・経営の考え方にも馴染みやすいのではないでしょうか。先ほどの「100年企業」しかり、近江商人の「三方よし」、さらには渋沢栄一の『論語と算盤』といった、経済と倫理を融合させた考え方が、これからの企業経営で再び重要になっていく時代だと思います。

 従来のイノベーションは成長や拡大が目的でしたが、定常型社会でのイノベーションは、循環や永続性、サステナビリティといったキーワードが今後重要になるのでしょうか。定常といっても、停滞ではなく、持続的な循環がぐるぐると続いているようなイメージを持ちます。

 それは重要なポイントで、「動的定常型社会」と言い換えることができるでしょう。音楽市場に例えるなら、売上総量はほとんど変わらなくても、ヒットチャートに入る曲はどんどん変わっていきますよね。つまり、資源消費が量的に拡大しないからといって、常に同じものをつくり続けているわけではないのです。経済規模が変わらなくても、その中身はどんどんと変化することが当然ありうるのです。

 多くの方がご存じの通り、GDPに占める製造業と建設業を合わせた第2次産業の割合は約25%にすぎません。残りの70%以上が第3次産業で、農業などの第1次産業はほんの数%です。もちろん製造業は重要ですが、規模としては第3次産業が圧倒的に大きくなっています。成長や発展の定義もまた、科学技術の影響を受けてきました。これまでの科学技術の進化から、社会の価値基準やイノベーションの方向性がどう変化してきたかがわかります。まず物質というコンセプトに基づくニュートン力学があり、19世紀半ばには電磁気や熱を説明する「エネルギー」という概念が生まれ、工業社会を生み出しました。そして20世紀半ばには、世界はすべて0と1で表現できるという「ビット」の概念が登場し、デジタル技術が進化、コンピュータやインターネット、SNSの普及が進みました。このように、科学の基本コンセプトは「物質→エネルギー→情報」と推移してきましたが、現在はその先、つまり「ポストデジタル」の段階を考える時代に入っているのです。

 今後、科学の基本コンセプトは「生命」へとシフトし、生命関連産業が立ち上がっていくでしょう。ここで言う生命とは、英語の「ライフ」がそうであるように、人生や生活という意味も含んでいますが、生態系や生物多様性、地球の持続可能性といったマクロの意味も含んでいます。生命関連の産業には5つの領域があります。1つ目はヘルスケアや健康医療。2つ目は再生可能エネルギーも含んだ環境、3つ目は生活福祉で、高齢化社会の進展に伴い介護や保育も重要になります。4つ目は農業。言うまでもなく生命の基盤です。そして5つ目が文化です。なぜ文化が重要かというと、ドイツのアンゲラ・メルケル前首相がコロナ禍でも文化活動を維持すべきだと言ったように、人間の生命維持に不可欠だからです。

 デジタル技術が重要であることに変わりはありません。ですが、デジタルばかりに注力するだけでは、GAFAの後追いになるだけです。デジタルの先を見据えた、ポストデジタルの展開を日本企業は進めてほしい。これが成熟した持続可能な社会において非常に重要になってきます。

 

◉聞き手|久世和彦
◉構成・まとめ|錦光山雅子、久世和彦  ◉撮影|池上夢貢