誰しも過去にいろいろ失敗もしているだろうし、返しきれていない借りなどを、多かれ少なかれ抱えているものだろう。でも年を重ね、なお気になっている借りがあったら、心の荷物を降ろして相手も自分もスッキリできるよう、きれいに返していく方がいい。「そんな昔のこと、きっと相手は忘れているし、面倒だから」なんて蓋をせずに。
お金の貸し借りだけは
しないほうがいい
繰り返しになるけれど、相手もきっとそれを忘れていないからだ。それに、そういうなにかの貸し借りをクリーンにすることも、運のよし悪しに関わる気がする。そのかわり、若いうちはあまりそこにこだわらずに、失敗も含め、人に恩を借りたりなんかしながら、いろんなことにトライしていけばいいのではないだろうか。借りについては、いつか出世払いで返せばいいのだから。
ただし、お金の貸し借りとなると話は別だ。僕はお金の貸し借りは基本的にしない。とくに、友人同士の間でお金がからむとろくなことにはならない。もし友人にお金を貸すようなことがあったら、あげるつもりでなければいけないと思っている。でもそれはその人にとって決していいことではないから、やはり、貸さないに越したことはないだろう。

堺 正章 著
結局、強運とはなんだろうか。それを引き寄せるには、シンプルだけれど、心に余裕を持つことが必要なのではないかと思う。人に感謝したり、他人を素直に讃えたり、公平な気持ちで「いいものはいい」と率直に認めたりすることは、心に余裕がないと難しい。気に病むようなことがない、すっきりと曇りのない心のゆとり。
それが自分に運のよさをもたらしてくれるような気がする。
大事なのは、自分が自分自身をどう肯定するかだ。客観性を持って自分を見つめ、迷ったら自分の信じる光を頼りにして歩みを進めていく。
そんなふうに自分の人生を肯定的に捉えられれば、きっと心に余裕も生じ、人生はもっといいものに変わる。
そして、それがいい方向に人生を回す原動力となるのだ。
もしかしたら、それこそが強運というものなのかもしれない。