さらに2008年9月、米投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻して、世界経済が大混乱する。英国社会には「何よりも経済が大切」という空気が強まっていく。

 2010年5月に総選挙で保守党が第一党となり、自由民主党との連立政権が誕生した。首相になったのは43歳のデビッド・キャメロンで、新政権はロシアとの関係改善を進める。

 マリーナは政権誕生から数カ月後、政府の姿勢が変わったと感じた。

「新政権のある幹部に会ったんです。そこで事件に対する政府の方針を聞きました。その答えに驚かされたんです」

 幹部はこう言ったという。

「政府は事件がロシアとの貿易や投資に悪影響を及ぼしてはならないと考えている。ビジネス界の期待はプーチン政権との関係改善だ」

 マリーナは新しく外相になったウィリアム・ヘイグに会って、確認したかった。このままでは暗殺の真相はわからないままだ。

「(幹部の言葉が)信じられませんでした。ロシアはまた同じように暗殺をするかもしれないのに」

 外務省にヘイグとの会談を求めても、セットされなかった。日程を調整しても、多忙を理由に何度か延期となった。明確に拒否はされなかったが、積極的には会いたくない様子が伝わってきた。労働党のミリバンド(※5)は何度も手紙をよこし、「いつでも連絡してください」と言ってくれた。それに比べると、新政権の事件への姿勢は明らかに消極的だった。
(※5)…デビット・ミリバンド。ブラウン内閣では2007年~2010年まで外相を務める

両国の経済強化の影で
脇に置かれたリトビネンコ事件

 新外相は2010年10月13日、モスクワを訪問し、大統領のメドベージェフ(※6)に続き、外相のラブロフ(※7)と会談する。ロシアでは2008年にプーチンが首相に就任し、メドベージェフが大統領になっていた。憲法で大統領の任期が連続2期(2012年から1期の任期が4年から6年になる)と定められていたため、プーチンは操りやすい人物を後任に就けていた。2012年にプーチンは再び大統領に復帰した。
(※6)…編集部注/ドミートリー・メドヴェージェフ
(※7)…編集部注/セルゲイ・ラブロフ。長年にわたりロシア外相を務める