トランプ関税の影響で株価が乱高下している。投資を始めた人も、これから始めようとしている人も心穏やかではないはずだ。こんなとき、どうすればいいのか?
アドバイスをくれたのが、いまや経営学の古典となった『ストーリーとしての競争戦略』の著者で一橋大学の楠木建特任教授だ。氏は大変な読書家で書評家としても知られる。
今回、楠木教授が推薦するのが話題のベストセラー『THE ALGEBRA OF WEALTH 一生「お金」を吸い寄せる 富の方程式』(スコット・ギャロウェイ著/児島修訳)だ。
なぜ、今、この本なのか。楠木氏の特別寄稿第5弾をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

「何をするか」ではなく「何をしないか」が大事
本書にあるさまざま提言のうち、「副業に浮気するな」にも深く同意します。
副業は「フォーカスの原則」に反します。仕事の成功に必要なフォーカスを弱める。
自分にとってそこまでやる価値があるなら本業にするべきでしょう。
「何をするか」ではなく「何をしないか」にフォーカスのカギがあります。
僕は競争戦略論を専門とする経営学者ですが、40代後半から書評を副業としています。
これにしても、若い頃から始めていたらうまくいかなかったという気がしています。
スコット・ギャロウェイは本書の中で、「快楽順応」の問題を論じています。すなわち、「ヘドニックトレッドミル」。
目標に向かってどれだけ前進してもその状況にすぐに慣れてしまうため、トレッドミルで同じ場所を走り続けるように幸福度も一定の水準にとどまるという成り行きです。
豊かになればなるほどさらに贅沢な生活を求めようとする。いたちごっこのように終わりがない。
もっと豪華な住宅、もっと速い車はいくらでもある。
物欲には物理的な限界があります。個人がクルマを所有できる数には限りがある。
なぜ、お金はペンの「インク」なのか?
いちばんたちが悪いのは抽象的な報酬です。
その王様がほかならぬお金。お金はただの数字。数字は無限です。すなわち、キリがない。
お金には持てば持つほど価値が下がるという不幸な性格があります。
経済学でいう限界効用の逓減です。
ある意味では、稼げば稼ぐほど損をするようなものです。
著者は言います。
「お金はあくまでもペンのインク。人生の物語そのものではない。その物語をどう描くかはあなた次第」――まったくその通りです。
経済的自立とは自分の人生をコントロールすることです。
そのために大切なのは、十分な収入でなく十分な資産を手に入れること。
著者の経済的自立の定義は「受動的所得(労働の対価以外の収入)>消費支出」です。
経済的自立を達成すれば、お金に関する不安が減り、自信が持てるようになる。
この自信は、仕事のパフォーマンスにもつながる。
仕事と恋愛は同じで、こちらが余裕を見せれば見せるほど相手から求められるようになる――ま、そうかもしれません。
時間を味方につけよう
経済的自立の手段としていちばん大切なのは時間を味方につけることです。
すなわち長期的な複利の力を活かす。
時間は長期的には味方になり短期的には敵になります。
なぜか。トレードオフがあるからです。
未来の自分を幸せにするためには今の自分の喜びを我慢する必要があります。
未来の自分を想像し、時間の力を活用したら何が起こるかを想像する。
これがトレードオフを受け入れるための鍵だと言います。
論理的にすっきりしていて説得力がある
これと並んで大切なのは何と言っても分散投資です。
投資は優れたディフェンスが何より重要です。
なぜか。投資には非対称性があるからです。
無限のアップサイドを期待しても、ゼロになってしまえばもう挽回できません。
どれか一つに全資産を集中投資していると、賭けに失敗した時に壊滅的な打撃を被ることになります。
もちろん分散投資はアップサイドの足かせになります。
しかし、そもそもアップサイドを最大化する必要はない。
投資の目標は世界一の金持ちになることではないからです。経済的自立が達成できればそれでイイ。
分散投資したポートフォリオを適切に運用すれば、経済的自立を達成できるリターンは十分に生み出せます。
著者の議論はごくオーソドックスですが、論理的にすっきりしていて説得力があります。
現在の収入を最大化するためには集中。長期的な資産を最大化するためには分散。
この集中と分散が王道です。
そして、どちらにしても「ゆっくりと」――本書のメッセージを凝縮すれば、こうなります。
(本書は『THE ALGEBRA OF WEALTH 一生「お金」を吸い寄せる 富の方程式』に関する書き下ろし特別投稿です)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座・競争戦略およびシグマクシス寄付講座・仕事論)
専攻は競争戦略。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022年、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年、日経BP、杉浦泰氏との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)などがある。