ただし、業務体制の整備が追いつかなかった。顧客データはExcelに個別入力され、進捗管理は属人的だった。誰がどこまで作業を進めたかが翌日には不明となり、入力や処理の重複が常態化した。東京のオペレーション拠点はゴミの散乱したような荒れきった惨状で、作業場としての機能すら十分ではなかったという。
こんな現場に、名古屋から呼び出されたのが宮川潤一氏(現・ソフトバンク代表取締役社長執行役員兼CEO)だった。
「お前、見損なったぞ!」孫正義がブチギレた相手とは?
宮川氏は、問題点を指摘し、抜本的な改善の必要性を説いた。以下が、その場面だ。
《(宮川氏が)このままではとてもサービス開始には間に合わない。率直にそう告げると孫が怒り始めた。
「俺はダメな理由なんか聞きたくないんだ!」
(中略)机をたたきながら激昂する孫に、宮川は今のやり方ではとても100万のお客などさばききれないと力説する。
「あまりに作業に無駄が多いので社員も疲弊しています」
「そんな精神論なんか聞きたくないね。お前、見損なったぞ!」》(杉本貴司著『孫正義 300年王国への野望』)
孫氏の発言は、冷静に職責を果たそうとした宮川氏に対する過剰な反応に見える。現場の課題を明確に把握し、遅延のリスクを伝えることは、実務責任者として当然の行動だ。
一般的な組織運営において、こうした報告が感情的に否定されることは少ない。とくに、宮川氏のように実績ある外部人材を迎え入れた場合、その知見や視点はむしろ歓迎されるべきものである。
この場面は、論文『感情の説得力:感情表現が態度の形成と変化に与える影響(The Persuasive Power of Emotions: Effects of Emotional Expressions on Attitude Formation and Change、2015年)』における理論的枠組みにも通じる。論文では、感情表現が相手の態度に影響を及ぼすことが示されている。
たとえば、怒りの表現は相手に圧力や緊張を与える一方で、説得力を高める効果もあるとされる。つまり、孫氏の怒りも、一種のメッセージとして機能していた可能性がある。