トランプ政権で副大統領に抜擢されたJDヴァンスの「ブレーン」として日本のメディアでも取り上げられるようになった政治学者のパトリック・J・デニーンは、2018年の著書『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(角敦子訳/原書房)でこう書いている。

 リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったからである。成功したために失敗した。

 世界でもっとも著名なリベラルの一人であるオバマ元大統領は、リベラリズムを批判するデニーンの著書を次のように評した。

『リベラリズムはなぜ失敗したのか』は考えさせられる本だった。著者の結論のほとんどには同意しないが、この本は、西欧の多くのひとたちが感じている意味の喪失とコミュニティの崩壊について、鋭い洞察を提供している。リベラルデモクラシーは、自らが引き起こす災厄を無視してきた。

 デニーンはこの本でどのような主張をし、それがヴァンスになぜ大きな影響を与えたのだろうか。

アメリカでは、第二次世界大戦後、ニューライト(新右翼)の3つの大きな波があった

 アメリカ政治思想史を専門とする井上弘貴氏は近著『アメリカの新右翼 トランプを生み出した思想家たち』 (新潮選書)で、デニーンを「ポストリベラル右派」に分類している。以下、井上氏の著書を参照しながら、近年のアメリカの右派思想の概略をまとめておこう。

 アメリカの保守主義は、「建国者」である独立戦争の英雄たちが理想とした自主・自律の古典的自由主義の社会を目指してきた。そのなかでも原理主義的な保守派は、建国者が起草した憲法に一字一句忠実な政権運営を求めている。

 だがその後、アメリカが経済成長し、二度の世界大戦を経て世界を管理する大国になると、連邦政府の権限が強まり、州の自立性は抑圧されて、分権化から中央集権化が進んだ。建国者の意思に反する(とされた)この事態への反発としてニューライト(新右翼)の運動が興り、第二次世界大戦後、3つの大きな波があった。

 第一のニューライトは1950年代で、フランクリン・ルーズベルトが始めたニューディールに反対し、ソ連を敵視する反共主義と個人の自由を擁護するリバタリアニズムを唱えた。第二のニューライトは1960年代のカウンターカルチャー(「セックス、ドラッグ、ロックンロール」のヒッピームーヴメント)への反動で、急速に世俗化する社会に対してキリスト教的な価値の復権を求め、右派と左派の「文化戦争」が勃発した。

 ニューライトは民主党のリベラルを批判するだけでなく、共和党の主流派となったネオコン(Neoconservatism:新保守主義)とはげしく敵対した。

 ネオコンの源流は1930年代のニューヨークで反スターリン主義のトロツキストとして活動していた左派知識人で、当初は公民権運動を支持していたが、ベトナム反戦運動を機に左翼運動のなかに反米主義が広がるのに幻滅して保守派に転じた。経済的には小さな政府を求め、冷戦下の外交ではソ連に対抗して、リベラルデモクラシーの価値を世界に広めることを目指した。この「左翼から転向した現実的保守主義」はレーガンからブッシュ父子まで、歴代の共和党政権に大きな影響を与え、保守の主流を形成した。

 2010年代になると第三のニューライトが登場し、それが2016年にドナルド・トランプを大統領の座に押し上げることになる。

「リベラリズムは成功したがゆえに失敗した」。欧米で進むリベラルデモクラシーの行き詰まりの原因と今後とは?Photo/lightsource / PIXTA(ピクスタ)

 複雑な人種問題を抱えるアメリカでは、「ポリコレ(Political Correctness:政治的正しさ)」や「キャンセルカルチャー」など、マイノリティの権利を重視し、多様性のある社会を実現しようとするリベラル=左派の社会運動が大きな力をもつようになった。第三のニューライトは、リベラルによる「文化的侵略」によって社会的に排斥された(ように感じる)白人労働者階級や、性愛の自由市場に参加できない若い男性によるネットを舞台にした攻撃的サブカルチャーととらえることができるだろう。

 スキンヘッドにタトゥーという従来の「極右」像を一新したエリートのリチャード・スペンサーは、有色人種(主に黒人)を優遇するリベラルな政策によって、いまや白人こそがもっとも虐げられた被害者だと主張した。ゲーマーゲートというネット上の炎上騒動では、性愛市場から脱落した若い男性(おたく)たちが、ゲームやアニメにおける性差別的な表現を規制しようとするフェミニストと衝突した。

 欧米ではいま、この文化戦争が社会を分断させ、収拾のつかない政治的・社会的混乱を引き起こしているのだ。

【参考記事】
●アメリカで社会の「リベラル化」によって、生まれた過激なカウンターカルチャー「マノスフィアmanosphere」。トランプ大統領は必然だったのか?なぜ「普通の奴ら」は皆殺しなのか?

欧米ではリベラルデモクラシーの行き詰まりが顕著に

 反ユダヤ主義の陰謀論や白人至上主義の極右を源流とするサブカル右翼は「Alt-Right」と呼ばれる。日本語ではR音とL音の区別がないので紛らわしいが、そこから人種主義的な要素を除き、アンチ・フェミニズム(反フェミ)を前面に押し出したのが「Alt-Light」だ。まだ定訳がないので、Alt-Rightを「オルタナ右翼」、Alt-Lightは「軽いオルタナ右翼」としておこう(「オルトライト」の訳語はAlt-RightにもAlt-Lightにも使われており、混乱のもとになっている)。

 オルタナ右翼や軽いオルタナ右翼はサブカルチャーの文化戦争から誕生したが、それはネットを超えて政治や社会に大きな影響を与えており、欧米ではリベラルデモクラシーの行き詰まりが顕著になった。この事態に対してリベラルなメディアや知識人は、十年一日のごとく「民主主義を守れ」と繰り返しているが、事態は一向に改善しないばかりかますます混迷している。こうして、近代の根幹であるリベラルデモクラシーを疑う者たちが現われた。

 リベラルデモクラシーは、リベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民主政)の組み合わせだから、それがうまくいかないとすれば、どちらか(あるいは両方)が間違っていることになる。

 自由を至上の価値とするリバタリアン(自由原理主義者)は自由(liberty)の価値を譲ることができないから、どちらかを選ぶのならデモクラシーを放棄するしかない。

 暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)のイデオローグ、カーティス・ヤーヴィンが唱えるガバコープ(gov-corp)では、国家はベンチャー企業のように経営され、CEOによって利益の最大化が目指される。国民は国家の消費者として、公的サービスの価格(税金)が高すぎると思えば顧客サービス部門に苦情を伝えて改善を求め、それでも不満なら他の企業=国家に乗り換えることができる。――ヤーヴィンはJDヴァンスと親密な交遊があり、パーティのあと一緒に車に乗り込むところが目撃されている。

 それに対してデニーンは、アメリカの建国の理念である古典的リベラリズムを真正面から批判したことに大きな特徴がある。とはいえ、もちろん「自由」を放棄するわけではない。デニーンによれば、わたしたちはより自由で幸福に生きるためにこそ、リベラリズムを捨てなければならないのだ。

 ちなみに、第三のニューライトのなかで「ポストリベラル右派」のデニーンに近い位置にあるのが「ナトコン」だ。これはNational Conservative(国民保守主義)の略で、ユダヤ系アメリカ人の思想家であるヨラム・ハゾニーが唱え、第2次トランプ政権にも影響を与えている。

 正統派ユダヤ教徒で、(ユダヤ人のための国家建設を目指す)シオニストでもあるハゾニーは、独立した国民国家こそが「自由なひとびとが自らを統治する集団的権利」を提供すると主張する(ただし、すべてのネイション=民族に独立した国家をもつ権利があるわけではない)。そして、国家主権を超える権力を行使するEUのような超国家組織こそが「共通の敵」だとして、欧米に広がる反グローバリズム/反EUの理論的支柱となった『ナショナリズムの美徳』(中野剛志、施光恒解説/庭田よう子訳/東洋経済新報社)のなかでは、リベラリズムこそが国家を弱体化させ、社会の混乱を引き起こしていると述べている。

 ユダヤ人であるハゾニーは、アメリカの大学で言論の自由を隠れ蓑にした反ユダヤ主義が蔓延していると強く批判してもいる(「現在のアメリカ各地の大学キャンパスで起きていることは、ネオマルクス主義の左翼による扇動に過ぎない」)。

 イスラエルによるガザ侵攻を機にハーバードやコロンビアなど「レフトの牙城」と呼ばれる大学で反イスラエルの抗議行動が起きたが、トランプ政権がそれを「反ユダヤ主義」として圧力を加えている背景には、ハゾニーのようなナトコン(ユダヤ系保守派)の圧力があるのだろう。