程不識は李広を評して「李広の軍律はゆるやかにすぎ、不意打ちを受けたらひとたまりもない。しかし、兵はのびのびと行動し、李広のためなら喜んで死のうとする者ばかりだ。いっぽう、わが軍の軍律は厳しいが、それだけに攻撃を受けてもびくともしない」という(司馬遷史記・大石智良・丹羽隼兵訳・徳間文庫)。

 船橋さんの言葉を借りれば、李広は情のリーダーであり、程不識は非情のリーダーということになるだろう。

 李広は、後に自決し、悲劇のリーダーになるが、彼のことを評した「桃李言わざれども下自ずから蹊(けい)を成す」という言葉は、今日まで残り、人物の偉大さ、リーダーシップを人々に教えている。

 情のリーダー、非情のリーダー、どっちがいいかはわからない。部下あってのリーダーだ。どれだけ情があろうと、非情だろうと合わないリーダーの下で働くのは辛い。

 とはいうものの今までの事例から見ると、情のリーダーとは、組織よりも部下の個性や生活を大事にして、成果をあげるタイプ、非情のリーダーとは、組織を重視し、規律を重んじ、個々人の能力よりチームで成果をあげるタイプ、と言えるだろう。

孔子が重くを置くのは「徳」

 さて、孔子は、リーダーについてどう言っているだろうか?

子曰はく、之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥ぢ且つ格(いた)るあり。(為政第二)
(政治家が、民を導くのに法律を制定し、それに違反すれば刑罰を加えるようにすれば民は、刑罰を逃れようとすることを恥ずかしいと思わない〈法律に違反しても刑罰を逃れようとする〉。徳で導き、間違いを起こした者に礼という秩序で対応すれば、悪事を恥じ、自分を正すだろう。)

 さすが孔子は、徳治主義だ。情とか、非情とか言わず「徳」が備わっていることがリーダーだと言っている。刑罰なんか重くしたってダメだという。