「ガスト・アルバイター」って?
ドイツとスウェーデンの移民政策から学べること

 ドイツやスウェーデンの移民政策をたどると、移民や難民と経済成長、社会統合に関して日本も学べるものがある。1950年代、ドイツは第2次世界大戦後の労働力不足を補うため、イタリア、スペイン、ギリシャやトルコから一時的に移民を受け入れた。それは、「ガスト・アルバイター」と呼ばれた。

 しかし1973年に第1次オイルショックが発生すると、ドイツ政府は自国民の雇用を優先すべくガスト・アルバイターの帰国を支援した。ところが外国人労働者は、母国より賃金水準が高いドイツでの生活を希望し、家族を呼び寄せたので移民は増加した。

 2000年2月、シュレーダー政権(当時)は永住権を与えることで、海外のIT技術者の獲得を重視した。同政権は移民の誘致と同時に、解雇に関する規制緩和と職業訓練や就職あっせん、失業保険給付の短縮を組み合わせる一大改革を行った。こうしてドイツ経済の成長率は高まった。ドイツの人口に占める外国人の割合は、24年末で約16%とみられる。外国人の社会統合に苦戦しつつも、移民大国であることに変わりない。

 スウェーデンは一時、世界で最も移民に寛容といわれた。ただし、それは経済合理性よりも、人類としての責任を果たすといった価値観が背景にあっただろう。

 第2次世界大戦後、スウェーデンも移民を受け入れることで労働力を増やした。当初は、フィンランドやイタリア、トルコ、バルカン半島諸国から移民を誘致した。第1次オイルショック後は就業目的の移民は抑制し、難民を受け入れる方針に転換した。

 1980年、スウェーデン政府は外国人法を改正し、外国人の居住に際して入国前の居住許可取得を義務付けた。89年には難民を庇護する基準を明確化し、居住や労働許可の審査規定も国が整備した。その後、紛争が起きた旧ユーゴスラビア、シリアやソマリアなどから難民を積極的に受け入れ、社会経済との統合を進めた。

 スウェーデンの人口約1000万人のうち20%程度が移民、難民、その家族であるといわれている。その後、自国民との融和の難しさが徐々に表面化した。2024年にスウェーデン政府は、約500万円を支払う代わりに社会になじめなかった外国人に帰国を求めた。