ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#26

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。1899年に「鳥井商店」として産声を上げ、創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひも解いていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「ダイヤモンド」1969年1月27日号の特集『新事業・新設備に賭ける注目12社』の記事「サントリー 京都工場完成でヤマ場を迎えた“純生作戦”」を紹介する。サントリーは63年にビール事業に参入、67年に発売した純生ビールの大ヒットでシェアは4%を突破。西日本攻略に向け京都に工場を新設し、積極拡大路線を継続していた。ただ、記事では赤字解消を阻む「二つの壁」の存在を明らかにしている。(ダイヤモンド編集部)

純生ビールの成功で強気のサントリー
積極拡大路線は試練の第2ラウンドへ

“サントリービール”の出荷は、昨年、待望の10万キロリットルの大台に乗せた。正確に言うと、10万7380キロリットルである。前年比41.5%の増加であった。

 昨年のビール界は、近年にない“不作”に終わった。業界平均の伸びは4.3%。これは、最近10年間では1965年の0.03%減に次ぐ2番目に低いものであった。5月にはビール税の引き上げがあり、9月になると小売価格再値上げが行われた。シーズン時の天候不順も手伝って、これがビールの消費にブレーキをかけた。

 後発メーカーにとっては、その打撃は先発以上に響いた。サントリーでは当初、68年の出荷を前年比60%増の線に置いていたが、とにかく、この不況を克服して40%を上回る伸びを示したことはまずまずである。

 サントリーがビール事業に進出したのは、63年である。今年で満7年目を迎える。その間の出荷の伸びは、64年47.4%、65年57.8%、66年は冷夏と不況のダブルパンチを受け、5.5%の出荷減となったが、67年に例の“純生ビール”を発売し、その遅れを一気に取り戻した。昨年12月のビール業界におけるシェアは4.28%である。

「ダイヤモンド」1969年1月27日号「ダイヤモンド」1969年1月27日号

 67年、ビール事業から手を引いた宝酒造が過去10年間、営々として築いたシェアが2%に満たなかったことを考えると、かなりの成長である。“純生作戦”の第1ラウンドは一応の成果を上げたといってよいであろう。“純生作戦”の成功に力を得たサントリーは、京都市郊外の長岡町に桂工場の建設を急いでいる。