自衛隊音楽隊に課される
「3つの任務」とは?

 試験を突破して音楽隊員になると、儀式・式典での演奏、隊員の指揮高揚のための演奏、広報のための演奏の3つの任務を遂行することになる。このうち、国賓などが来日した際に行われる「特別儀仗演奏」は、陸上自衛隊中央音楽隊だけが行う。

 同部隊は特別儀仗演奏を含めて、年間190回ほどの演奏をこなすという。これには着任式などの演奏、小編成(アンサンブル)で行う小規模のイベントも含むが、「地方の音楽隊でも年間100回以上は演奏しており、夏季の広報シーズンはまともに休むことができない」というのが現実のようだ。
 
 音楽隊の任務は「演奏」だが、それだけをやっていればいいというものではない。隊員は音楽家である前に自衛官なので、射撃や格闘術などの訓練も当然行う。

「なぜ自衛隊に音楽隊が必要?」「音楽隊も戦闘訓練するの?」→防衛省OBの答えが的確すぎた!陸自中央音楽隊の公式サイトに掲載されている練習風景(出典:陸自中央音楽隊

音楽隊初となる「声楽枠」の試験を突破し、「歌姫」として採用された海上自衛隊東京音楽隊の三宅由佳莉(みやけ・ゆかり)2等海曹の左胸には、銀色の体力徽章が輝く。運動能力測定または水泳能力測定で2級を取得してはじめて付けることができるバッジの取得率はわずか数パーセント。聴衆を魅了する歌声は、厳しい訓練や体力錬成の成果でもある。

 音楽隊の歴史は1951年、発足したばかりの警察予備隊に編成されたことに始まる。初代隊長には陸軍「軍楽隊」の隊長を務めた須摩洋朔(すま・ようさく)元陸軍軍楽大尉が就任した。戦前の軍楽隊で培われた技術と知識が、形を変えて新しい組織へと受け継がれたのだ。翌1952年には海上自衛隊音楽隊も発足。陸海空それぞれに音楽隊が整備され、現在に至るまで日本の安全保障と広報活動を「音」で支えてきた。

 余談だが、一説によると日本は吹奏楽経験者が人口の10%以上に上る。世界有数の「ブラスバンド大国」として知られるが、その由縁には軍楽隊の存在がある。敗戦で陸海軍が解体されたことによって、軍楽隊の教育を担っていた陸軍戸山学校や各地の軍楽隊が保管していた大量の楽器や楽譜が、文部省を通じて学校や警察音楽隊などに引き継がれた。

 それと同時に、復員で職を失った当時の音楽エリートである軍楽隊員が、生活のために音楽教師やバンド指導者としての道を歩み始めた。彼らは軍隊仕込みの集団行動や厳しい基礎練習、コンクール(競争)への意識を教育現場に持ち込んだ。日本の吹奏学部が「体育会系」と呼ばれるルーツは、ここにある。