いかがだろう、自民党農水族、鈴木大臣が進めている「減反政策」はまさにこれだ。海外の大規模農業ビジネスのようなものは否定して、コメは競争を排除して、国家の指導のもとで生産調整して価格を安定させる。当然、稲作だけで食べていけない兼業農家が山ほど出るので、その生活保障は国が責任をもって請け負う――。

 さらに注目すべきは、この記事で、ナチスドイツが「高度な農業統制」に成功したのはある「統制機関」が創設されているからだとして、この素晴らしいシステムを日本も真似すべきだと主張されていることだ。

「各種農産物の全国的な統制機関及びその地方的な下部組織が盛んに拡大、強化されていて、生産上の調整及び合理化に努力している」(同上)

 まさしく全国規模の事業を行うJA全農と、全国496(令和7年度4月現在)の農協ではないか。ただ、これは当然と言えば当然の話で、そもそも「協同組合」というのはドイツから学んだものだ。1900年にできた産業組合法で、農協の前身が生まれて、そこから再びナチスドイツの「農業統制機関」をお手本にして「農業会」へと姿を変えていったのである。

 そんな昔の話を引っ張り出してきて令和の農業問題と結びつけるな、というお叱りを頂戴するかもしれないが、実はこのあたりの組織の問題はすべて「地続き」なのだ。今から25年前の農業共同組合新聞で、産業組合法施行100周年の記念座談会が催され、財団法人協同組合経営研究所の有賀文昭理事長がこんなことを言っている。

「産業組合は、戦中に農業会になって、それから農協へと制度が変わるわけですが、統制経済というのは戦後もある時期まで続くわけですね。そこでよく言われるのは、新しく農協として生まれ変わったといってもそれは看板の塗り替えに過ぎなかったのではないか、ということですね。(中略)つまり、農業会から農協へという時期に、それまでのつながりがすぱっと断ち切れて再スタートしたということとは違うのではないかと私は考えているのですが」

 この考えに対して同席した農協関係者らも「その通りだと思います」と言っている。筆者もまったく同感だ。つまり、JA全農という組織も間違いなく、戦時中の農業会から色濃く影響を受けている。そして、その先には戦前のドイツが実践していた「国家による農業統制」があるということだ。

 国家社会主義がどういう末路を辿ったのかは説明の必要はあるまい。ということは、このイデオロギーを色濃く引き継いでいる日本のコメ行政もかなり危ないはずだ。実際、農協が「日本のコメ農家を守れ!」というシュプレヒコールで半世紀以上続けてきた減反政策によって、どれほど日本のコメ農家が弱体化しているのか、がすべて物語っているではないか。

 日本国民に壊滅的な被害が出る前に、鈴木大臣のような日本の舵取りをするエリートは「国家社会主義の幻想」からいい加減目覚めていただきたい。