こうした考えに至ったのは、過去に失敗を経験していたからだ。それまでは地域おこしのイベントやプロジェクトを実行すれば、その先に何かが見えてくるはずだという発想だった。しかし、懸命に活動しても何も見えず、挫折感と疲労感が残るだけだった。

 活動は継続されず、つまみ食いに終わる。その繰り返しであった。それで、先に将来の地域の姿を思い浮かべ、逆算して動くべきではないかと考えるようになったのである。

国際文化村構想を住民主導でスタート
アーティストの誘致が口コミで話題に

 大南さんは仲間たちと国際文化村委員会を組織し、議論を重ねた。行政も後からその輪に加わった。こうして、国際文化村構想のプロジェクトとして環境と芸術の2部門を住民たちで進めることになった。

 その後、徳島県の構想は実行されず、国際文化村建設は幻となった。それでも大南さんらは、環境と芸術のソフト事業を独自に展開させていった。当初から自分たちで発案・企画して始めたプロジェクトであるからだ。森づくりや棚田の再生、さらには、道路清掃などを住民などが行政に代わって行う「アドプト・プログラム」というものも手がけた。

 芸術部門の目玉事業となったのが、「神山アーティスト・イン・レジデンス」だ。これは、国内外からアーティストを地域に招聘して滞在中してもらい、作品を制作してもらうという事業。1999年に初めて実施され、日本人1名と外国人2名の芸術家が選ばれ、神山町を訪れた。

 神山はもともとお遍路さんを接待する文化の地。住民主導の手厚くきめ細かなサポートがアーティストらに喜ばれ、評判が口コミで一気に広がった。芸術家を招聘する事業はその後も継続され、神山の場の価値を高めることにつながった。  

 国際文化村委員会はその後(2004年)、NPO法人グリーンバレーに衣替えした。メンバーは60人ほどで、「日本の田舎をステキに変える!」ことがグリーンバレーのミッションとされた。そして、「できない理由より、できる方法を」「とにかく始めろ」という2つの基本方針が掲げられた。